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2015年8月30日 (日)

第897段:瀬戸内海ツーリング記(2015/5/4)(4)~関門海峡

 ほぼ15時頃、関門トンネルの人道入口前に到着。ここで関門橋の写真を撮る。
 海側の公園は、「壇ノ浦古戦場跡」になっている。源義経と平知盛の銅像があった。

 義経と知盛の像の横では、無料(だと思うんだけど)でおそらく源平合戦の模様を紙芝
居で披露している女性がおり、十数人の人が聞き入っていた。

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↑関門橋

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↑源義経像

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↑平知盛像

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↑紙芝居を披露している

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↑『日本史の節目を刻む関門海峡

 西へ東へと一日に四回、その流れの向きを変える関門海峡。せまい所では、両岸
の幅は七〇〇メートルあまりで、潮流の速度は、最高で約一〇ノット(時速一八キロ)
にもなります。また、瀬戸内海の入口に位置する地理的条件から、昔も今も交通の
要衝で、日本の歴史の節目を刻む舞台となっています。

 寿永四年(1185)三月二四日、平知盛を大将にした平家と、源義経率いる源氏が
この壇之浦を舞台に合戦をしました。当初は平家が優勢でしたが、潮の流れが西
向きに変わり始めると源氏が勢いを盛り返し、平家は追い詰められました。最期を
覚悟した知盛が、その旨を一門に伝えると、二位の尼は等位数え八歳の安徳天皇
を抱いて入水。知盛も後を追って海峡に身を投じ、平家一門は滅亡。日本の政治は
貴族から幕府による武家政治へと移行していきました。なお、この戦いにおいて義経
は平教経の攻撃を船から船へと飛び移ってかわし、いわゆる「八艘飛び」と見せたと
いわれています。

                                              下関市』

20150504_0752r
↑安徳帝御入水之処

二位尼辞世

今ぞ知る
みもすそ川の
御ながれ
波の下にも
みやこありとは』


(つづく)


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