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2014年7月

2014年7月31日 (木)

第508段:福岡・大分ツーリング記(2014/5/1)(19)~福沢諭吉旧居

  オートバイを降りて、大分県中津市の寺町散策コース終点の福沢諭吉旧宅へやってきた(場所:第491段:福岡・大分ツーリング記(2014/5/1)(4)~円応寺 参照)。
 今は資料館を見ている。

 
福澤諭吉に9人もの子供がいたとは知らなかった。

20140501_p5010843r
↑福澤人脈図

 写真の文字は判別できないと思うが、中央の黒に白抜きのところが諭吉。その右横にずらっと並ぶのが子供達。

 福澤家は夫婦に四男五女の11人家族。

 うーん。現代ではちょっと考えられない大家族だ。

 福澤諭吉は、9人の子供たちを分け隔て無く皆平等に育てたという。当時としては、まだまだ男尊女卑の時代。

 当時、福澤諭吉は『福扇自伝』で以下のように書いている。

『四男五女の其男の子と女の子と違いのあられよう訳けもない。
 (中略)
 娘の子なれば何が悪いか、私は九人の子がみんな娘だって少しも残念と思わぬ。
 (中略)
 男女長少、腹の底から之を愛して兎の毛ほども分隔(わけへだ)てはない。』

 9人の子供たちのその後は、

 一太郎(長男):教育者となり義塾社頭になる。
 捨次郎(次男):時事新報社長
 里(長女)
 房(次女)
 俊(三女)
 滝(四女)
 光(五女)の5人の女子はそれぞれ結婚。
 ただし、長女の里は夫が早世した後、福澤家で過ごす。
 三八(三男):義塾で数学者として教鞭を執る。
 大四郎(四男):実業家

 
系図は、「福澤諭吉」のウィキペディアで見ることが出来ます。

(つづく)


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2014年7月30日 (水)

第507段:福岡・大分ツーリング記(2014/5/1)(18)~福沢諭吉旧居

  オートバイを降りて、大分県中津市の寺町散策コース終点の福沢諭吉旧宅へやってきた(場所:第491段:福岡・大分ツーリング記(2014/5/1)(4)~円応寺 参照)。
 今は資料館を見ている。


 続いて、1万円札の新券。

20140501_p5010810r
 『 中津市長
  財団法人
   福澤旧邸保存会理事長
      新 貝 正 勝 殿


   日本銀行券     E一万円券       1枚
               (記番号 A000001B)


      肖 像     福 澤 諭 吉
      発行日     平成16年11月1日

        新様式銀行券発行に当り上記の一万円券を
      福澤諭吉先生のご郷里として縁故の深い貴市に
      お譲りいたします。

      平成16年11月1日
                       日本銀行大分支店長
                           味 岡 桂 三  』

20140501_p5010811r
↑新券になって、ホログラムが導入されていますね。

(つづく)


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2014年7月29日 (火)

第506段:福岡・大分ツーリング記(2014/5/1)(17)~福沢諭吉旧居

  オートバイを降りて、大分県中津市の寺町散策コース終点の福沢諭吉旧宅へやってきた(場所:第491段:福岡・大分ツーリング記(2014/5/1)(4)~円応寺 参照)。

 さて、旧居を見るのはこれくらいにして、資料館に入ってみよう。

 まず、入口入ってすぐに1万円札が飾ってあった。

 20140501_p5010809r


『 福沢諭吉の1万円札、新渡戸稲造の5千円札、夏目漱石の千円札が昭和59年(1984年)
11月1日、斬新なデザイン、スマートな形で誕生しました。

  一度に3種類のも紙幣が変わるのは初めてのことであり、世界でも珍しいことです。

  肖像については、文化人の採用は初めてのことで、また人物の選定は、

 (1)品格がある。
 (2)教科書などにも多く登場する。
 (3)国際的にも知名度が高い。――

 などが基準とされました。

  福沢諭吉は、日本を代表する啓蒙思想家、教育家、そして慶応義塾大学の創始者であることから、今回の最高紙幣の肖像として選ばれました。

  展示されている1号券(A000001B)は、日本銀行のご好意により中津市へ贈られたものです。』


20140501_p5010807r
 『      贈 呈

  中津市長
  福澤旧邸保存会理事長
      八 並 操 五 郎 殿


  日本銀行券     D一万円券       1枚



      肖 像     福 澤 諭 吉
      発行日     昭和59年11月1日

       新様式銀行券発行に当り上記一万円券を
       福澤諭吉先生のご郷里として縁故の深い貴市
       に贈呈いたします。

      昭和59年11月1日
                         日本銀行総裁
                           前川春雄   


20140501_p5010813r

(つづく)

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2014年7月28日 (月)

第505段:福岡・大分ツーリング記(2014/5/1)(16)~福沢諭吉旧居

  オートバイを降りて、大分県中津市の寺町散策コース終点の福沢諭吉旧宅へやってきた(場所:第491段:福岡・大分ツーリング記(2014/5/1)(4)~円応寺 照)。

20140501_p5010786r
↑福澤諭吉旧宅。北側。


20140501_p5010789r
↑もう一つ立て看板があるので読んでみよう。

『しらみ取りの話

 諭吉の幼少期、着物はボロボロ、髪はボウボウの女性がいました。母・お順はその女性を見ると毎度のように庭に呼び入れ、座らせて頭の虱(シラミ)を取ってあげました。

 諭吉は母に命じられてその虱を石の上で五十匹、多い日は百匹ほどもつぶすのです。それが済むとお順は虱を取らせてもらったお礼にと女性に握り飯を作って食べさせました。

 このように諭吉の母・お順はこころのやさしい情ふかい人でした。』


 うーん。。。
 福澤諭吉の母上は、すごい人ですね。
 普通はしないしできないでしょ。虱を取ってあげるなんてこと。

(つづく)


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2014年7月27日 (日)

第504段:福岡・大分ツーリング記(2014/5/1)(15)~福沢諭吉旧居

  オートバイを降りて、大分県中津市の寺町散策コース終点の福沢諭吉旧宅へやってきた(場所:第491段:福岡・大分ツーリング記(2014/5/1)(4)~円応寺 照)。

20140501_p5010778r
↑母屋のトイレ部分

 

20140501_p5010777r_2
↑こんな立て看板があった。
 読んでみよう。

『刺客に狙われた話

 明治三年(1870年)、母と姪(いち・兄三之助の長女)を迎えに中津に帰った時の事です。

 中津の若い藩士の中には、諭吉を西洋かぶれと嫌い暗殺しようと狙う者がいました。

 その動きを察知した服部五郎兵衛(福沢家の親戚)は夜福澤家を訪問し、いつまでも酒を飲みながら夜中の一時を過ぎても話込んでいるので、諭吉が寝入るのを狙っていた刺客はその機会を逃し、諭吉は命拾いをしました。』

 福澤諭吉が暗殺されそうになっていたとは、知りませんでした。

(つづく)

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2014年7月26日 (土)

第503段:北海道ツーリング~さんふらわぁ乗船中

 現在、茨城県大洗港に停泊中の商船三井フェリー  『さんふらわぁ』 に乗船中。。。

 苫小牧港に到着するのは、昨日書いた通り、今日の19:45頃。

 それまでの間にすることといったら、やはりツーリング計画を練ること。

 『今頃?』 という声が聞こえそう(^^;。

 行き当たりばったりな旅をしているので。それでも行く方面は決めておかないと。

 今までの渡道履歴は、以下のようになっている。

 1996年 道東(屈斜路湖方面)
 1998年 道東(襟裳岬→根室)
 2000年 道北(利尻島)
 2003年 道東
 2004年 道央(富良野付近)
 2005年 道北(礼文島)
 2006年 道東(知床岬)
 2007年 道南(羊蹄山・積丹半島)
 2008年 道央(富良野・旭川)
 2009年 道南(函館)
 2010年 道南(大沼・函館)
 2011年 道東13泊(屈斜路湖方面)
 2012年 道南(函館・江差) / 苫小牧往復
 2013年 道南(日本海側より回る)

 ちょっと補足。

【2011年】
 2011年の道東13泊というのは、ゴールデンウィーク(GW)の休みが全て無くなった代わりにその休みが全て夏休みに振り向けられたことによる。
 2011年と言えば、3・11。 夏に電力事情が逼迫することが懸念されたことを受けて、うちの会社も夏休みを増やすことにした。そのやり方がGWの休みを出勤し、夏に休むというもの。
 それで、2週間近い間北海道にいたのである。

【2012年】
 2012年は2回北海道に行っている。ただ、2回目は大洗⇔苫小牧までを往復するだけになってしまった。
 リフレッシュ休暇で10日間を休みをもらっての渡道だった。
 このとき往路のフェリーで突然体調が悪くなった。腹痛だった。
 苫小牧港に着いて、すぐに救急車で救急病院へ。一通りの治療を受けた後、ここは入院できない言われ、別の病院にまた救急車で移動。5日間入院を余儀なくされた。
 退院後、すぐにフェリーで大洗に戻り、自力で実家まで帰った後、地元の病院へ行った。
 腹痛の原因は、尿路結石だった。しかし、石はすでに尿と一緒に流れたらしく、経過観察ということになった。

 ここ最近の5年(2009年~2013年)の間に道南に行ったのが4回。
 北海道滞在の日数がそれほど取れないため、フェリーが到着する苫小牧からそれほど遠くないところ、という選択肢だった。

 が、流石に今回は違うところに行こうと思う。

 大雑把には、襟裳岬~黄金道路経由で釧路、厚岸、根室方面に向かおうかと。
 釧路には、今まで2回行ったことがあるが、厚岸、根室へは1998年以来行っていないので。
 釧路湿原でも少し遊びたい。カヌーとか乗れるかな?その時間が取れるか分からないけど。
 そんなことを考えています。


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2014年7月25日 (金)

第502段:北海道ツーリングへ出発

 2014年夏も北海道へツーリングに行ってきます。

 以前にも書きましたが、うちの会社は、電力の平準化のため一般企業より早く夏休みがやって来ます。
 2014年は、7月26日~8月3日まで。
 もっともお盆の時季(今年は8/10の週)にも休みがあります。2日間ほど出勤日(8/11・12)がありますが、4~5割の人は有給休暇を使って休みにします。
 有休消化率を上げようという企業の配慮も垣間見えますが…。

 今日は早めに会社を退けてきて、22時頃までに茨城県の大洗港へ。
 商船三井フェリー さんふらわぁ の深夜便。
 大洗港出港は日付変
わって7月26日 午前1時45分。
 苫小牧港到着は、同日午後7時45分頃の予定。


 夜に北海道へ上陸するので、すぐに移動ということもできず、昨年同様、苫小牧で野営ということになります。
 普通は、苫小牧駅付近のホテルなり、支笏湖付近のキャンプ場に行くところなんでしょうけど、なるべく安くあげたいので、野営するわけで。。。

 いやいや。私は野営が好きなのです。
 来たるべき災害時に慌てないために、というのは冗談ですが。。。

 ということで、行ってきます。
 復路は、8月2日 午後6時45分苫小牧発。 8月3日 午後2時大洗着。
 今年は、大洗でアウトレットとか少し寄ってみたい。
 けど、あまり遅くなると、帰りが当
然遅くなって辛いんだけど。。。

 翌8月4日は会社があるし。

 北海道へツーリング中はブログはお休み。。。

 ではなくて、公開日時を指定して、自動配信で毎日更新します。

 

 

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2014年7月24日 (木)

第501段:福岡・大分ツーリング記(2014/5/1)(14)~福沢諭吉旧居

  オートバイを降りて、大分県中津市の寺町散策コース終点の福沢諭吉旧宅へやってきた(場所:第491段:福岡・大分ツーリング記(2014/5/1)(4)~円応寺 参照)。

20140501_p5010767r
↑土蔵。外観は綺麗に塗られている。

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↑『土蔵の話

 諭吉が少年の頃、自分で手直しをし長崎へ遊学(西暦1854年)をする十九歳ごろまで、米をついたり二階の窓辺で学問を続けた土蔵です。』

20140501_p5010774r
↑土蔵の二階に上がることができ、そこには少年時代の福沢先生の人形が窓辺に向かい勉強する姿が…。

(つづく)


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2014年7月23日 (水)

第500段:福岡・大分ツーリング記(2014/5/1)(13)~福沢諭吉旧居

  今はオートバイを降りて、大分県中津市の寺町散策コース終点の福沢諭吉旧宅へやってきた。
 
 場所は、
第491段:福岡・大分ツーリング記(2014/5/1)(4)~円応寺 の地図を参照されたい。

 さて、ここまで来たからには、中に入ろう。入館料は中津城との共通券で600円だ。

20140501_p5010753r
↑屋根は藁葺き。

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↑内部は結構広い。

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↑天井部

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(つづく)


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2014年7月22日 (火)

第499段:福岡・大分ツーリング記(2014/5/1)(12)~福沢諭吉旧居

  今はオートバイを降りて、大分県中津市の寺町散策コース終点の福沢諭吉旧宅へやってきた。
 
 場所は、
第491段:福岡・大分ツーリング記(2014/5/1)(4)~円応寺 の地図を参照されたい。

20140501_p5010746r
↑福澤諭吉旧宅のエントランス

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↑福沢諭吉旧宅旧宅に入る前に、看板を見てみる。

『 願わくは我旧里中津の士民も  今より活眼を
 開いて先づ洋学に従事し  自から労して自から
 食い  人の自由を妨げずして我自由を達し  脩徳
 開智  鄙吝(りりん)の心を却掃(きゃくそう)し  家内安全天下富強の
 趣意を了解せらるべし

  人誰か故郷を思わざらん

    誰か旧人の幸福を祈ざる者あらん


 明治三年(1870)庚午十一月二十七夜 中津留主居町(なかつるすいまち)の旧宅敗窓(はいそう)の下に記

                           「中津留別之書(なかつりゅうべつのしょ)」』

 福沢諭吉は中津の人たちに、 『活眼を開け』 と発破を掛けていたんですねぇ。

(つづく)

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2014年7月21日 (月)

第498段:福岡・大分ツーリング記(2014/5/1)(11)~福沢諭吉旧居

 今はオートバイを降りて、大分県中津市の寺町散策コース終点の福沢諭吉旧宅へやってきた
 
 場所は、
第491段:福岡・大分ツーリング記(2014/5/1)(4)~円応寺 の地図を参照されたい。

20140501_p5010739r
↑クリックすると拡大します。

 この看板のすぐ後ろが実際に旧宅が建っていた跡になっている。

 『福澤先生旧宅の図

  福澤先生1歳と6ヶ月の時父が急死したため、天保7年(1836)秋、母子六人で大坂の中津藩蔵屋敷から藩地の中津に帰ってきました。

  最初住んだ家は残っていませんが、この宅跡にその家がありました。
  今残されている旧居は、後年に移り住んだものです。

  この平面図は、明治10年(1877)9月24日最初の家を先生みずから記憶によって図を引いたものです。』

『天井ナシ屋根裏惣二階一ト間
 南北ノ端ハ甚タ低ク立ツ可ラズ
 東西ニ窓ナシ
 物置同様家財ハ残ラズコノ二階ニアリ』

 右上の写真が福澤先生自筆による旧宅の図である。慶應義塾が所蔵している。


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↑福澤先生旧居跡

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↑後年移り住んだ福澤先生の旧宅

20140501_p5010744r_2

『福澤諭吉宅跡

 天保七年ノ秋大坂ヨリ中津ニ帰ル
 干時生レテ十八ヶ月此宅ニ育○ラル○
 ○十五年同町橋本氏の家ヲ買テ
 ○移ル○諭吉ガ一兄三姉ト共ニ
 寝食シテ母ノ保護ヲ蒙リタルハ
 此旧宅ナリ
 
 

 明治十年九月廿四日  諭吉記』

 ちょっと途中解読できない文字があって、それらは○とさせてもらっています。

(つづく)


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2014年7月20日 (日)

第497段:福岡・大分ツーリング記(2014/5/1)(10)~福沢諭吉旧居

 今はオートバイを降りて、大分県中津市の寺町散策コースを福沢諭吉旧居の方へ向かって歩いている。
 円龍寺、円応寺前の道をまっすぐ行けば、突き当たりが福沢諭吉旧居だ。

 場所は、
第491段:福岡・大分ツーリング記(2014/5/1)(4)~円応寺 の地図を参照されたい。

20140501_p5010734r
↑案内板があるので、迷うことはない。

『新堀町(しんぼりまち)

 この町について

  かって概称(がいしょう)で「下辺」(しもへん)(武士組屋敷)と呼ばれていたところにある新堀町は、小笠原藩時代には鉄砲町であったが、奥平藩時代の町筋改造により「堀川町」の対称の呼び名で「新堀川町」となり、「川」を省いて「新堀町」と呼ばれるようになった。』



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↑ようやく福沢諭吉旧居に到着。
  駐車場には、有名な「学問のすゝめ」から有名なフレーズの看板が…。

(つづく)


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2014年7月19日 (土)

第496段:福岡・大分ツーリング記(2014/5/1)(9)~円龍寺 干支の瓦

 今はオートバイを降りて、大分県中津市の寺町散策コースを福沢諭吉旧居の方へ向かって歩いている。
 現在位置は、円龍寺。円応寺の対面にある寺だ。
 場所は、
第491段:福岡・大分ツーリング記(2014/5/1)(4)~円応寺 の地図を参照されたい。

 閻魔大王が鎮座しておられる閻魔堂。その周りを干支をあしらった瓦が飾ってあった。一品ものだろうか。よくできている。

20140501_p5010725r

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(つづく)


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2014年7月18日 (金)

第495段:福岡・大分ツーリング記(2014/5/1)(8)~円龍寺

 今はオートバイを降りて、大分県中津市の寺町散策コースを福沢諭吉旧居の方へ向かって歩いている。
 現在位置は、円龍寺。円応寺の対面にある寺だ。
 場所は、
第491段:福岡・大分ツーリング記(2014/5/1)(4)~円応寺 の地図を参照されたい。

 さて。昨日の続き。
 説明書きの後半だ。

 『當山圓龍寺の閻魔大王は、往昔(寛永~明暦)下毛郡金谷の産中津藩士某氏が江府において旗本衆へ相勤め居るとき、家の娘を奪い帰る途中 箱根山中でその娘を鬼女に喰われ途方にくれ一夜をさゆの河原の一宇に求めた。

  そのお堂に安置する閻王を祈念するうちに懺悔の念頻りに起り終にその場を離れ難き故に大王の御頭を写し彫刻奉(たてまつ)り背負い参りて、大坂の大仏師に御胴躰を彫刻し給い、海路帰国し髙瀬村に草庵繕い安置奉るが儘我が宿業果報べき様なく、此時中津圓龍寺第二代月単上人名僧なりし故帰依し、法名を改め光譽浄薫善士と下され念佛三昧の善門となり、其已来、圓龍寺に於て閻魔堂を願主となりて建立し大王を此地に移し奉
る。

 昼夜を分たす執行の道心是也。増念佛共に寄依の人々繁昌におよび候也』

 ちょっと難しいですね。
 ただ書き写しているだけで、読めないところもあったりして(^^;。
 それにしても、箱根で鬼女に娘を喰われって、なにそれ? という感じがしますが…。

 閻魔様のアップはこんな感じ。


20140501_p5010719r

(つづく)


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2014年7月17日 (木)

第494段:福岡・大分ツーリング記(2014/5/1)(7)~円龍寺

 今はオートバイを降りて、大分県中津市の寺町散策コースを福沢諭吉旧居の方へ向かって歩いている。
 現在位置は、円龍寺。円応寺の対面にある寺だ。
 場所は、
第491段:福岡・大分ツーリング記(2014/5/1)(4)~円応寺 の地図を参照されたい。

 通称「えんま寺」。

20140501_p5010712r

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↑中に入ってみると、閻魔大王が鎮座しておられた。


20140501_p5010713r

↑説明書き

 例によって、読んでみる。が、長いので2回に分けたいと思う。
 まずは、前半。

『圓龍寺閻魔大王縁起

 閻魔大王は印度の神話に登場する世界の統治者夜魔で、佛教にとり入られて地蔵菩薩の化身として末世衆生(まっせしゅじょう)を救うために出現され給うたのである。

 悪業は日日に募り善業は劣るを哀愍(あいびん)し、衆生に善悪の宿業を浄頗梨(じょうはり)の鏡に顕(うつ)し知らしめて『地獄の業火は自らが造る業(カルマ)によって燃える、恐るべし慎むべしと』
 大王は内に慈悲を蔵し、外に勧善懲悪の相を現し、『汝仏法流布の世に生れ何ぞ修行せず徒(いたず)らに三途に帰り来るや』と戒め給うておられる。』

 ちょっと、言い回しが古くて分かりにくい文章ですね。

(つづく)


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2014年7月16日 (水)

第493段:福岡・大分ツーリング記(2014/5/1)(6)~円応寺

 今はオートバイを降りて、大分県中津市の寺町散策コースを福沢諭吉旧居の方へ向かって歩いている。
 現在位置は、円応寺(えんおうじ)。
 場所は、
第491段:福岡・大分ツーリング記(2014/5/1)(4)~円応寺 の地図を参照されたい。

 さて、河童の墓とはいかなるものか。

20140501_p5010670r
↑順路に沿って進むと…

20140501_p5010672r
↑これが河童の墓。。。

20140501_p5010674r
↑干からびているけど…?

20140501_p5010669r

 説明書きを読んでみよう。

『河童の墓と水文瓦(すいもんかわら)

                          鏡智山 円応寺(きょうちざん えんのうじ)

 当寺は浄土宗に属し、天正十五年(1587年)黒田如水の黒田如水(くろだじょすい)の開基、真誉見道上人(しんよけんどうしょうにん)の開山で黒田、細川、小笠原と各藩主に大切にされた寺。

 河童の由来の寺として名高い。江戸中期当寺の寂玄(じゃくげん)上人が河童共を佛(ほとけ)の道に入らせ修行の末、河童の頭目三匹に戒名(かいみょう)を授けた。河童たちは上人への御恩返しに寺を火災から守ったという。

 この寺の瓦には、珍しく「水」の印の瓦が葺(ふ)かれていて、水乞いの祈りが捧げられたという。境内に「河童の墓・河童の池」があって、今でも寺の法要の時には必ず河童の頭目の回向(えこう)を行っている。

 当寺が授けた戒名は現存し、その頭目たちの戒名を彫った火難水難除けの護符の版木も残されている。また、境内に室町時代のすぐれた八面石幢(はちめんせきどう)があり儒者山川東林玉樵(やまかわとうりんぎょくしょう)の墓碑がある。

                                    中津市
                                    中津の郷土史を語る会』

その「水」の印の瓦というのがこれだ。

20140501_p5010684r

 なかなか面白い。
 この「水」という印が付いた瓦というのは、初めて見た。

(つづく)


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2014年7月15日 (火)

第492段:福岡・大分ツーリング記(2014/5/1)(5)~円応寺

 今はオートバイを降りて、大分県中津市の寺町散策コースを福沢諭吉旧居の方へ向かって歩いている。
 現在位置は、円応寺(えんおうじ)。
 場所は、
第491段:福岡・大分ツーリング記(2014/5/1)(4)~円応寺 の地図を参照されたい。

 さて、円応寺の中に入ってみよう。

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↑写真中央に立て看板があるので、見てみよう。

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『円応寺の由来

 知恩院末浄土宗鎮西派(ちおんいんまつじょうどしゅうちんぜいは)、境智山(きょうちざん)と号し、阿弥陀如来を本尊とする。

 天正十五年(1587年)黒田如水の開基で見道大和尚(けんどうだいおしょう)の開山。

 黒田氏福岡に転封後、細川氏も熊本に移住、小笠原氏城主の時天仲寺より十一面観音像を移し、寺内に観音堂を建立す。

 墓地には儒学者山川東林(やまかわとうりん)、玉蕉父子(ぎょくしょふし)の墓、奥平家の重臣桑名家、東條家の墓所や有名な河童の墓、池などがある。

 又「富永章一郎氏解剖記念碑」という大きな碑が建立されている。章一郎氏は名家の生れ[原文のまま]で、生前儒学、洋学に優れ、又医学の研究家で、死に臨み自ら進んで死体の解剖を申し出で医師立ち会いで解剖が行われた。

 中津では初の試みで、この徳行を賞して、下毛郡医師会によって建立されたものである。

                                    中津市
                                    中津の郷土史を語る会』

 では、その河童の墓なるもの見てみよう。

(つづく)


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2014年7月14日 (月)

第491段:福岡・大分ツーリング記(2014/5/1)(4)~円応寺

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 今はオートバイを降りて、大分県中津市の寺町散策コースを福沢諭吉旧居の方へ向かって歩いている。

 合元寺、通称赤壁寺を過ぎて、現在円応寺(えんおうじ)前。かっぱ寺とも呼ばれ、河童のお墓があるとか。
 なんとも まゆつば ものだが…。

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 中津市教育委員会の説明書きを引用しよう。

 『円応寺(えんおうじ)

  天正十五年(1587)に黒田官兵衛の開基によって建立された浄土宗の寺院です。
  開山は真誉上人見道(しんよしょうにんけんどう)大和尚。慶長五年(1600)、県道
 和尚は黒田氏に従って福岡に移り、同名の円応寺を開きました。

  円応寺の境内に河童の墓と呼ばれる五輪塔があります。『下毛群誌』によると
 この墓は、宇都宮鎮房(うつのみやしげふさ)が誘殺(ゆうさつ)された時、鎮房の

 太刀をあびせた野村太郎兵衛祐勝(のむらたろうべえすけかつ)の墓だとされて
 います。野村太郎兵衛は黒田二十四騎の一人です。


                                     中津市教育委員会』

 なぜ、その野村太郎兵衛の墓を河童の墓と呼ぶのか、その説明がないね。


(つづく)


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2014年7月13日 (日)

第490段:ヤマノススメ(2)

 タイトルに (2) と付いているのは、2013年3月19日にこのアニメのことをとりあげているからだ(第17段:ヤマノススメ 参照)。

 この7月からヤマノススメ 2nd Season が始まった。

http://www.yamanosusume.com/

 このアニメ、さりげなく登山やアウトドアの知識がちりばめられていて、見ていて面白い。登場人物の少女達もかわいいし(^^;。

 また、時間は1st Season の5分から15分になり、2クール24話で構成されるという。
 つまり、通常の30分のアニメ枠の12話分(3ヶ月分)相当ということだ。

 ただ、放送は全国区ではないらしい。上述のHPによれば、

『2014年7月9日(水)より
 TOKYO MX KBS京都 毎週水曜日 よる10:00~

 静岡第一テレビ 毎週水曜日 深夜2:34~

 BS11 毎週水曜日 深夜3:00~

 AT-X 7月11日(金)より
  毎週(金)22:30-22:45
  毎週(日)09:30-09:45
 毎週(火)28:30-28:45
 (水曜04:30-04:45)
  毎週(木)16:30-16:45
 ※週1話ずつ4回放送/毎週金曜更新

 ニコニコ動画 7月10日(木)より
      毎週木曜日 よる10:00~
 「ヤマノススメ セカンドシーズンチャンネル」 』

ということだった。

 

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2014年7月12日 (土)

第489段:福岡・大分ツーリング記(2014/5/1)(3)~合元寺

 さて。ようやく大分県に入った(^^;。
 オートバイを降りて、中津の町を散策中。

 まずは「合元寺」。

 天正15年(1587年)に黒田官兵衛が建立した。
 前領主 宇都宮鎮房(うつのみや しげふさ)の家臣との激戦の場となった寺である。

 門前の壁は、元々白かったが、幾度塗り替えても討ち死にした家臣たちの血痕が染み出てくるので、それを隠す意味合いから、赤色に塗られたと言われている。

 嘘か誠か。でも、確かに赤い壁の寺など見たことがない。
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↑「赤壁」の文字が…

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↑瓦には笹竜胆(ささりんどう)の家紋がある。

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↑中はいたって普通のお寺

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『合元寺(ごうがんじ)

 黒田官兵衛が姫路から恵心僧都(えしんそうず)作と伝わる阿弥陀如来を移して、空誉上人(くうよしょうにん)という僧を開山に迎えて寺院を建立しました。

 黒田氏の入国に反対した宇都宮重房が中津城内に誘殺(ゆうさつ)された時、鎮房の従臣たちが待機していたこの合元寺にも黒田の手勢が押しかけました。鎮房の従臣は奮戦しましたが、ことごとく斬り伏せられ、壁はその血で赤く染まったそうです。

 その後壁は何度白く塗っても血が染み出てくるので、ついに赤く塗ったといいます。寺は赤壁寺(あかかべてら)ともよばれています。

                                中津市教育委員会』

(つづく)


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2014年7月11日 (金)

第488段:福岡・大分ツーリング記(2014/5/1)(2)~合元寺

 現在福岡県築上郡上毛町(こうげまち)の道の駅「しんよしとみ遺跡前」(^^;。。。

 いつも、キャンプ場だとチェックアウト時間に気を遣う必要がないからダラダラしてしまい、出発時刻が9時台や事によったら10時台になってしまうこともある。

 道の駅の野営だと、店の人に迷惑をかけないように、早めに撤収する必要があるため、ある意味メリハリがあるな。

 

 さて、今日の行動をどうするか、だが、「中津」に行ってみようと思う。ここ道の駅「しんよしとみ」からは直線で4km程しか離れていない。

 「中津」は、2014年のNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』のゆかりの地だ。
 官兵衛が築いた中津城などがある。

 実は、さほど真面目に大河ドラマを見ているわけではないのだけれど、旬の話題だし、見ておいて損はないだろう。

 洗顔、トイレ、後片付け等を終え、8:25道の駅 「しんよしとみ」を出発。

 8:48頃、中津の中心街に到着。コンビニの駐車場の片隅にオートバイを停めさせていただき(^^;、後は徒歩でこの辺りを散策しよう。

 少し歩くが、まずは合元寺(ごうかんじ)だ。

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『 寺町 
  この町について

  中津城総曲輪(そうくるわ)内の東側に在って島田口と蛎瀬の中程に城下防備を目的に造られた町。ここ「寺町」には、黒田入封以前からの地蔵院・安随寺(あんずいじ)と黒田藩時代に開基の合元寺(ごうがんじ)や大法寺・円応寺・西蓮寺、細川藩時代の普門院・宝蓮坊・本伝寺・小笠原藩時代の円竜寺・浄安寺そして奥平藩時代の松巌寺の計十二ケ寺がある。』

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↑赤い壁が見えてきた。

(つづく)


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2014年7月10日 (木)

第487段:福岡・大分ツーリング記(2014/5/1)(1)~道の駅 しんよしとみ 

 タイトルを改め、福岡県を追加(^^;。現在福岡県築上郡上毛町(こうげまち)の道の駅「しんよしとみ遺跡前」(^^;。。。

 腕時計のアラームは5時にセットしてあった。5時に起きたけど、ちょっと二度寝(^^;。
 5:23に起き出す。
 こうしちゃいられない。すぐに撤収開始。

 NHKラジオによると、北九州地方は、朝のうち曇り、ところにより雨が残るところもあるが、午後からは晴れるという。気温20~23℃。

 空を見ると、曇っているが、明るい曇り。これなら雨の心配はなさそうだ。

 撤収は順調に行って、6:30にはほとんど荷物のパッキングを終え、あとはオートバイに積むだけの状態になった。これで、道の駅の店舗の人に文句を言われることはないだろう。ここでポメラで日記をつけ、その後朝食にする。

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↑泊まった東屋。


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↑まだ地表に雨の跡が残る。オートバイも屋根のおかげで濡らさずに済んだ。

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↑道の駅しんよしとみ遺跡前 全景
  空はどんよりと曇り。

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↑遺跡の説明書きがあった。一部、絵が破れている。

 『国指定史跡 大ノ瀬官衙遺跡(ダイノセカンガイセキ)

  築上郡新吉富村大字大ノ瀬(注:新吉富村は2005年10月11日、大平村と合併して上毛町(こうげまち)となっている)に所在する奈良時代の豊前国上毛郡衙政庁跡(コウゲグンガセイチョウアト)。

  内郭は四面庇(ひさし)付き建物を正殿(ショウデン)とし、その東に桁行の長い南北棟建物を脇殿(ワキデン)として配するL字型の配置をとる。

  また、柵列(サクレツ)によりこれらの建物を囲み、正殿正面には四脚門(シキャクモン)を有する。

  そしてさらにもう一重外側に、一辺150mを測る外郭を形成する柵列跡等も見つかっている。

  遺構の保存状態も良く、律令期の地方官衙の一形態を示す貴重な遺跡である。

                           (平成10年(1998)12月8日  官報告示)』

(つづく)


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2014年7月 9日 (水)

第486段:大分県ツーリング記(2014/4/30)(37)~道の駅 しんよしとみ 

 タイトルと異なり、未だに福岡県(^^;。


 おじさんには、市営温泉の位置、スーパーダイエーの位置も教えてもらった。

 では、まず温泉に出発しよう。
 16:30に道の駅出発。16:36温泉着。温泉の名前は「げんきの杜」という。

 ここの温泉はいい!
 まず、低価格。大人300円。

 脱衣所の洗面台は7。ドライヤー2。
 中は内湯と低温サウナがある。カランは6。シャワー2。
 風呂には、液体石鹸とシャンプーが備え付けられている。この低料金で、この設備。
 もう一度言うけど、ここはいい!

 風呂からあがって、現在18:04。ちょっとTVのニュースを見る。
 18:10頃、施設を出た。ここの温泉の営業は、11時から21時まで。
 空はまだ明るい。この辺りの日の入りは18:56だ。

 18:20「げんきの杜」出発。
 

 

 まず、道の駅しんよしとみ に一度戻る。

 また雨が降ってきた。
 道の駅で雨宿りをしつつ、レインブーツをはく。レインウエアは防寒のため、「げんきの杜」を出たときに着ておいた。

 国道10号線(R10)を1.8kmほど豊前の方向へ戻る。

 ダイエーを探していたが、現れたのは、「スーパー大栄」。はて?

 。。。うん。そうか。あのおじさんの言っていたことは間違ってない(^^;。
 確かに「だいえい」だ。

 私自身がおじさんの話を聞いて、勝手に「ダイエー」と勘違いしただけだ。

 「スーパー大栄」の営業時間は9:30~20:00なので、閉店までにはまだ時間がある。ここで食材を買う。

 「スーパー大栄を19:20」発。サラダを買えなかったので、途中のセブンイレブンで買おう。

 ビールとサラダと鶏炭火焼きが目に留まったので、ついでにこれも買って(^^;、セブンイレブンを出たら、かなり雨が降っていた。ほんとにこれで明日晴れるの?

 

 道の駅しんよしとみには、20時ちょっと前に到着。さすがに店はすべて閉まっている。

 店の前の東屋からそれほど遠くないところに街灯があるので、東屋も照らしてくれる。これなら、テント設営や夕食の準備をするにもそれほど困らない。雨はまだ降っているが、オートバイを東屋の隣の屋根のあるところに移動させる。東屋から近くの位置にオートバイを停められたので、荷物の運搬が楽になった。東屋の下はコンクリート。ペグは打ち込めない。フライシートとインナーテントは、ロープで固定。自立しない部分は、東屋にあった椅子に固定した。

 20:20頃テント設営完了。ご飯を炊く。

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↑コッヘルでご飯を炊く。蓋の上に
ロッキーカップを載せているのは
 重しのため。

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↑今日の夕食のために買ったもの

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↑まぐろ漬け丼

 今日は、マグロの刺身を買ったので、マグロ漬け丼納豆入りと鶏の炭火焼き、キャベツサラダ、それとビール、が夕食のメニュー。

 片付けを終え、テントに入ったのが、23時過ぎだった。

【4月30日データ】
オドメーター:70488.9km
4月30日の走行距離:78.4km
万歩計:13,324歩(9.3km換算)

(つづく)

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2014年7月 8日 (火)

第485段:大分県ツーリング記(2014/4/30)(36)~道の駅 しんよしとみ 

 外を見ると、傘をさしている人とさしていない人が半々くらい。
 いや、結構降ってるぞ。

 オートバイに乗るときは、雨装備にしないとだめだな。  

 焼きカレーを食べ終えて、オートバイを停めたところまで戻ってきた。NHKラジオを聞く。

 福岡県は今夜雨だという。福岡県で雨なら大分県も雨だろう。今日は野営は難しいかもしれない。テントを濡らしたくないから。

 とりあえず、中津(なかつ)方面に移動しよう。

 レインウェアを着て、12:42出発。

 県道25号を経て、国道10号線(R10)に入る。行橋(ゆくはし)市に入ったところで、雨はぴたりと止んだ。路面も濡れていない。

 こんなにきれいに雨が降っているところと降っていないところが分かれるなんて。

 行橋バイパス沿いのガソリンスタンドで給油する。セルフではないので、値段は高い。164円/Lだ。店員にここは雨は降らなかったのか訊くと、小雨程度だという。このまま、降らないで行けるだろうか?

 14:00ガソリンスタンド出発。

 14:45頃『道の駅 豊前おこしかけ』 に到着。

 弁当などの食材を売っているが、ちょっと高いか。
 情報端末で天気を調べると、大分県地方は、明日(5月1日)は朝のうち曇りでのちに晴れるという。それなら、今日は野営でも大丈夫そうだ。

 『道の駅 豊前おこしかけ』を出発したら、すぐ(15:26頃)『道の駅 しんよしとみ』 に到着した。R10沿いにある2つの道の駅は5kmほどしか離れていない。

 まぁ、特に買うものもなく。情報館で情報端末を操作し、大分県北部だけでなく、別府や熊本県などの天気予報も見てみる。どれも大分県北部と大差ない。明日以降は天気が回復するようだ。

 その情報を手に入れて、16:00頃出発しようとした矢先、年は65歳くらいの男性に声をかけられる。

 身内でオートバイに乗っている者がいて、今は東京に住んでいるらしい。少しオートバイやツーリングの話をして、そろそろ別れの挨拶かな、と思ったとき、今日これからどうするのか、訊かれる。

 『今日は、もうこれから泊まるキャンプ場を探します。』

 まぁ、探すといっても、「大池公園ふれあいの里」に行くつもりなのだけど(後で調べると、ここに持ち込みテントで野営できたか疑問。ログハウスはあるが、フリーサイトでのキャンプはできたかどうか…)。

 そうしたら、そこでキャンプできるよ、という。そこというのは、道の駅に隣接している空き地だ。  
 『えっ。そこでですか?』
 『以前、そこでキャンプしている人を見たことがある。』

 その空き地を見てみると、そこは空き地
じゃない。 「国指定遺跡 大ノ瀬官衙遺跡(だいのせ かんが いせき)」と立て看板がある。

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↑小さなジオラマ?がある。かつてこのような配置で建物が建っていた、らしい。

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↑今はただの空き地(^^;


 『いやいやいや。遺跡でキャンプしちゃまずいでしょ。』
 『私が訊いてきてあげるよ。』

 と言うが早いか、その方は売店の方にすたすたと歩いて行ってしまう。

 まぁ、だめもとだし。
 しばらくして戻ってくると、

 『そこはだめだって。』
 (いや、そりゃそうでしょ。)

とは突っ込まなかったけど(^^;。

 「こっちならいいって。この屋根のあるところ。」

 道の駅のフードコートの前に東屋があり、その中にはテーブルが4つ置いてある。

 『ここの営業は18時までだから、それ以降は使ってくれていいって。ここの主任さんらしき人が言っていたから確かだよ。』

 朝は8時までに撤収していればいいらしい。  確かに屋根の下で野営できるのは、ありがたい。  下がコンクリートなのが、ちょっとやっかいだが。  でも、キャンプ場はおそらく有料だ。それなら、ここで野営すれば、宿泊費は無料。朝早く撤収すれば、問題ないだろう。せっかくのご厚意。ここで野営させてもらおう。

(つづく)

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2014年7月 7日 (月)

第484段:大分県ツーリング記(2014/4/30)(36)~焼きカレー

 オートバイは、JR門司港駅前に停めたまま。   タイトルと内容が合っていない点はご容赦。まだ、門司にいるので。。。(^^;

 さて。改修中のJR門司港駅を見学デッキから一通り見て、現在11:15。天気は先ほどからちょっと雨がぱらぱら降ったり止んだり。このあと大丈夫だろうか?
 

 もう時刻が昼近いので、ここで昼食にしてしまおう。観光地値段になってしまうけど、門司に来ていて、コンビニ弁当で昼食を済ませるのもおかしいというものだ。

 門司港名物と言われる焼きカレーを食してみよう。

 先ほど見た、ブルーウィングもじ(
第452段:大分県ツーリング記(2014/4/30)(4)~門司港レトロ 参照)を渡ったところに土産物屋とレストランがある。

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 ドリンクとデザートのセットで1,160円也。いい値段だな。ドリンクはジャスミンティーにしたかな? 確か。 

 出された焼きカレーを見て、食べて、この料理を悟った(気がする(^^;)。

 グラタン皿にご飯を入れて、その上に半熟のタマゴをのせる。その上からカレールーをかけて、さらにピザ用のチーズをふりかけ、最後に乾燥パセリを散らせて、オーブンで焼く。チーズにほんのり焼き色が付いたところで取り出す。そして、食べる前に粉チーズを散らせる。こんな感じだろう。これなら、自宅でも作れる。門司港名物というが、さして難しい料理ではない、という気がした。

(つづく)

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2014年7月 6日 (日)

第483段:大分県ツーリング記(2014/4/30)(35)~JR門司港駅

 オートバイは、JR門司港駅前に停めて、引き続き門司港駅の工事見学デッキから門司港駅を見学中。。。   タイトルと内容が合っていない点はご容赦。まだ、門司にいるので。。。(^^;

 i-Padを無料で貸してくれるというので、借りてみた。Liveで保存修理工事を見ることができたり、これまでの工事の内容を動画などで紹介もしている。

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↑工事中の駅舎にi-Padをかざすと、i-PadにかつてのJR門司港駅の写真
 が映る。

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『工事見学コンテンツ、カメラ-2は、駅舎の南西(ホーム側)の屋根へ向けて設置して
 います。屋根のスレート板を分解し、野地坂(下地)の板から、第二次世界大戦中の
傷跡と思われる痕跡が複数発見されました。

 昭和20年(1945年)12月発行の『戦災概況図門司』によりますと、昭和20年3月5日に
門司港駅ホーム棟に爆弾が着弾。ホーム棟が1棟全焼し、3名死亡、9名が負傷と
あります。

 しかし、この駅舎分解調査から発見されたものは銃痕でした。

 こうした、公式記録には残っていない傷跡も建物はしっかり記憶しています。
 今後調査が進み、数多くの発見があるものと思われます。

 また、九州鉄道~国鉄からJR九州と運営母体が変化する中、失われた記録や
語り継がれなかった物語も数多くあるかもしれません。一般の方々が持つそうした
思い出などのような情報もこの、保存修理工事~復元作業には大変重要になる事
があるかもしれません。』

(つづく)


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2014年7月 5日 (土)

第482段:大分県ツーリング記(2014/4/30)(34)~JR門司港駅

 オートバイは、JR門司港駅前に停めて、引き続き門司港駅の工事見学デッキから門司港駅を見学中。。。   タイトルと内容が合っていない点はご容赦。まだ、門司にいるので。。。(^^;

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↑JR門司港駅を覆っているプレハブ。雨などを避けて作業をするためだろう。
 駅舎を完全に覆っている。

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『門司港駅本屋保存修理工事

 大正三年(1914年)に竣工した重要文化財の門司港駅舎は、その老朽化に伴い、
 保存修理工事を行っています。竣工から戦前にかけての門司港地区(当時は門司
 と呼ばれていました)は、無類の好景気にわいており、当時の地価は日比谷公園を
 しのぶとも言われ、人口は爆発的に増加します。

 駅の機能もそれにともない、増改築を繰り返します。この庇(ひさし)は昭和4年
(1929年)に増築されたもので、保存修理工事が始まるまでの間、門司港駅のシルエ
ットを優雅に飾っていました。


 保存修理工事は、専門の職人さんにより行われます。分解される部材は、元の
場所が分かるように番付を記し、様々な調査を行った後、補修を施し元の場所へ
戻されます。

 全ての修理が終了するのは、平成30年(2018年)の春を予定しています。』

左上の写真:保存修理工事前の門司港駅
右下の写真:分類された部材


 それにしても、完成が2018年とは。
 随分と先なことだ。
 早くシンメトリーな駅舎を見たいものです。

(つづく)


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2014年7月 4日 (金)

第481段:大分県ツーリング記(2014/4/30)(33)~JR門司港駅

 九州鉄道記念館を出てきて、現在10:38。
 随分と時間を使ってしまった。

 オートバイを再びJR門司港駅近くに移動。
 JR門司港駅の工事見学デッキから見学ができる。
 見学は9時からだったので、先に九州鉄道記念館を見てきたのだった。

 説明用のiPadも無料貸し出ししているので、借りてみることにした。

 現在の駅舎は2代目で、完成したのが1914年だというから、ちょうど100年経っている。シロアリ被害や老朽化による腐食でゆがみや亀裂が生じてしまったため、2012年9月から本格的な保存修理工事が始まった。完成が2018年3月だという。まだ4年もかかるのか。

 駅舎自体を建て屋で覆っていて、かなり大がかりな工事だ。確かJR門司港駅の駅舎は、重要文化財に指定されている。

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『門司港駅の変遷

 九州における鉄道の歴史は、明治22年(1889年)博多から千歳川仮停車場(筑後
川北岸)の開業に始まり、その2年後に門司駅(現門司港駅)が、現在の場所から
200mほど南(鉄道記念館横)に建てられ開業しました。九州鉄道本社も博多から
この地に移転し、九州の鉄道起点となりました。

 大正3年(1914年)に、海上交通との利便性と旅客数の増加により、現在の場所に
新築移転しました。

 建設後まもなく時計台と駅前広場に噴水が設置され、駅らしくなりました.昭和4年
(1929年)に庇(ひさし)や倉庫を増設しました。外壁の色は、現在とは異なり淡い
ネズミ色でした。昭和5年(1930年)には、噴水を撤去し、路線バスの乗り入れが開始
されました。』

 写真左上:大正3年(1914年)、竣工時の門司港駅舎
 写真右下:昭和11年(1936年)の門司港駅舎

 『昭和17年(1942年)の関門鉄道トンネルの開通を機にそれまでの名称、門司駅を
門司港駅と改め、当時の大里駅が門司駅となりました。その後も時代の移り変わり
とともに、門司港駅は幾度となく改築を繰り返し、昭和の終わり頃から保存の動きが
活発になり、昭和63年(1988年)に駅舎としては全国初の重要文化財に指定されまし
た。』

(つづく)


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2014年7月 3日 (木)

第480段:大分県ツーリング記(2014/4/30)(32)~九州鉄道記念館

 オートバイは、九州鉄道記念館前の駐輪場に停めて、引き続き記念館の本館2階を見学中。。。   タイトルと内容が合っていない点はご容赦。まだ、門司にいるので。。。(^^;

 今回で、4/30分は32回目。記事を小出しにしている関係で、九州鉄道記念館だけでも今日で25回目。。。(^^;

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↑本館1Fにある運転シミュレーター(有料)
 使われているのは、JR九州811系のクハ810-2。

 これ以降は、屋外展示してある、機関車の運転席。外からの写真は、
第456段:大分県ツーリング記(2014/4/30)(8)~九州鉄道記念館
を参照。

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↑「EF30 3」の前頭部が展示されていて、運転席に入ることができる。

20140430_p4300497r
↑同上

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↑屋外 前頭部展示の 「ED76 1」の運転席

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↑屋外 前頭部展示の 「クハ481-246」の運転席。席へは、よっこらしょと登る感じ。

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↑同上

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↑同上

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↑運転席の右側の席

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↑運転席後方。換気扇と冷房用?のダクトがある。

今回で、九州鉄道記念館は終わりです。

(つづく)


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2014年7月 2日 (水)

第479段:大分県ツーリング記(2014/4/30)(31)~九州鉄道記念館

 オートバイは、九州鉄道記念館前の駐輪場に停めて、引き続き記念館の本館2階を見学中。。。   タイトルと内容が合っていない点はご容赦。まだ、門司にいるので。。。(^^;

 次の これは、なんだろう?

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『昇柱器(しょうちゅうき)

 作業のために電柱に登る必要がありますが、その時に活躍するのが昇柱器です。
 この器具を両足に固定し、器具の先にある爪を電柱(木製)に打ち込みながら登
 ります。』

 今は木製電柱も(新規では)ないでしょうから、この器具も使われないのでしょう。

(つづく)


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2014年7月 1日 (火)

第478段:大分県ツーリング記(2014/4/30)(30)~九州鉄道記念館

 オートバイは、九州鉄道記念館前の駐輪場に停めて、引き続き記念館の本館2階を見学中。。。   タイトルと内容が合っていない点はご容赦。まだ、門司にいるので。。。(^^;

 次の これは、なんだろう?


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 『携帯電話器

 ここに展示されている携帯電話器は、現在の携帯電話が普及する以前のもので、
 線路沿いに設置された差し込み式ジャックにつなぎ、使用していたものです。

 保線作業は、近くに公衆電話もないような場所で行われることも多いため、保線区
 や指令所、駅などとの連絡手段として大活躍していました。』

 当時としては、この大きさでも小さかったのでしょうね。
 現在の技術の進歩を感じます。

(つづく)


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