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2013年6月

2013年6月30日 (日)

第112段:山口県ツーリング記(2013/5/2) (7)~平安橋

 つぎにもう一つの鍵曲、 “堀内鍵曲(ほりうちかいまがり) ”に向かう途中、古めかしい石橋を渡る。また、その先の交差点を右に行くと旧児玉家長屋門がある。

 ちょっと、それらも見ておこうと思い、萩西中学校隣の邪魔にならないところにバイクを停めて散策することにした。

 まず、 “平安橋(へいあんばし) ”。
 ここに限らないが、萩市は、市指定有形文化財近くには、必ず説明書きがある。
 旅をしているときに、それらを一言一句まで読んでいる時間はさすがにない。が、それらをカメラに収めておけば、後から見返すことができる。

 さて、平安橋については、説明書きに以下のような記述がある。

 『平安橋

  この橋は、萩城三の丸の3か所の総門(北・中・平安古(ひやこ))の一つである平安古の総門前の外堀に架けられ、城下町から三の丸への通路の一つであった。

  慶安5年(1652)の萩城下町絵図には木橋として描かれているが、城下の新堀川に架かっている石橋がいずれも明和年間(1764~71)に構築されていることから、同時期に石造りに架けかえられたものと思われる。

  橋の材質は玄武岩で造られており、吊り桁・定着桁を備えたゲルバー桁橋の構造をもった無橋脚の珍しい橋である。橋桁6.04m、幅3.95m、堀底からの高さ2.5mである。』

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↑平安橋

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↑同上

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↑堀の景色はなかなかに美しい。

 上述の “北の総門”は、現在復元されており、見学することができる。いずれ本ブログで紹介する。(つづく)

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2013年6月29日 (土)

第111段:山口県ツーリング記(2013/5/2) (6)~平安古鍵曲

20130502_p5022178r_4      ↑平安古鍵曲(ひやこかいまがり)

20130502_p5022180r_5      ↑土塀が何とも歴史を感じさせる。。。


 さて。現在、11:05。
 明倫館跡(明倫小学校)を見た後、旧田中別邸近くの鍵曲(かいまがり)を見に行く。
 わざわざ  “旧田中別邸近く ”と断ったのは、萩にはもう一か所鍵曲があるからだ。

 こちらの旧田中別邸近くの鍵曲は、『平安古鍵曲(ひやこかいまがり)』という。
 
 

 ところで。
 その “鍵曲”とは何か、であるが、
 

 『左右を高い土壁で囲み、道を鍵のように曲げて見通しを悪くして、戦いの際敵の侵入を防ぐために造られた通り』

 のことだ。 “鍵のように曲げて”というのは、つまり自動車教習所のクランクのようになっている、というと分かりやすいか。

 
 もう1か所の鍵曲は堀内地区にあるが、藩政時代、堀内地区は城内三の丸付近にあたる。藩の役所や毛利一門、永代家老など大身の武家屋敷があった場所である。

 その堀内が手狭になったことから、あらたに平安古地区に下屋敷を設けた。重臣たちの屋敷を守るために造られたのがこの “平安古鍵曲 ”である。

 
 鍵曲を説明する写真としては、ある程度俯瞰から撮影できればよいのだけど、そういう場所で写真が撮れるところがないので、冒頭のような写真になってしまう。鍵曲の雰囲気が伝わるだろうか。

 11:32出発(つづく)。

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2013年6月28日 (金)

第110段:山口県ツーリング記(2013/5/2) (5)~観徳門

 また、明倫小学校の東側には、観徳門(かんとくもん)があり、小学校の敷地の外から見ることができる。

 『明倫館遺構 観徳門

  観徳門は、旧藩校明倫館の遺構で、孔子を祀った聖廟(せいびょう)の前門である。明倫館の正門(南門)と聖廟との中間に位置し、冸水(はんすい)に架かる万歳橋(ばんせいばし)を渡り、聖廟を巡らす石柵内への入口になっていた。

  形式は木造瓦棒銅板葺(もくぞうかわらぼうどうばんぶき)、左右に唐破風(からはふ)を備えた平唐門(ひらからもん)で桁行(けたゆき)2.5m、梁間(はりま)1.45m、両袖に連子格子(れんじこうし)の塀をつけている。

  出入口は一間一戸、扉は上部に連子を入れた桟唐子で両開きになっている。

  全体に木鼻(きはな)や操形(くりがた)が多く、装飾的要素が目立ち、構造的にも大仏様(だいぶつよう)、禅宗様(ぜんしゅうよう)の要素を持つ珍しいものである。

  建築年代は、新明倫館が再建された嘉永2年(1849)で、本願寺萩別院に移されて客殿門となっていたが、昭和57年(1982) 3月、明倫館の旧地である明倫小学校敷地内に移設された。』
 

と門の前にある説明書きには書いてある。


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↑観徳門

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↑観徳門(左)と有備館(右)

(つづく)


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2013年6月27日 (木)

第109段:山口県ツーリング記(2013/5/2) (4)~有備館

6月25日付のブログ、第107段:山口県ツーリング記(2013/5/2) (2) の記述において、さらっと、『有備館(ゆうびかん)(剣槍術稽古場)』という言葉が登場する。


 明倫小学校の南東側の門のすぐ側にその『有備館』がある。

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↑有備館

そこには、以下のような説明書きがある。

 『有備館は剣術と槍術の稽古場で、藩校明倫館内に建築された。木造一重入母屋造り桟瓦葺きで平屋建て、桁行37.8m、梁間10.8mの南北に長い建物である。

 内部の北半分は板間39畳を剣道場、南半分は土間54畳を槍術場とし、各その西側を藩主の上覧場とし、中間に藩主臨場などの場合に使う控室がある。

 ここは藩士の練武のほか、他国からの剣槍術の修行者との試合場、すなわち「他国修行引請剣槍術場」でもあった。』



 説明書きはその横にもう一つある。
 どちらかというと、内容はこちらの方が坂本龍馬の名が出てきて興味深い。



 『坂本龍馬と萩

 文久2年(1862)1月14日、坂本龍馬は土佐勤王党首領 武市瑞山(たけいちずいざん)の手紙を久坂玄瑞に届けるため、萩を訪れた。

 
 龍馬は萩に9日間滞在する。その年の3月24日、龍馬は突然土佐を脱藩。

 そして薩長同盟、大政奉還など歴史に残る偉業を成し遂げてゆく。

 
 一体、萩で何があったというのか。

 幕末欧米列強はアジア各地を植民地とし、日本の独立もあやぶまれていた。

 久坂玄瑞は長州藩を訪れた龍馬に、師・吉田松陰の草莽崛起論(そうもうくっきろん)を説く。

 日本を変革するのは草の根に隠れている自分たちで、そのためなら藩は滅んでも構わぬという凄まじい決意であった。そして龍馬はこの直後、土佐を脱藩してしまった。

 萩には今も、人々の魂を奮い立たせる何かがある。』



 さらに、有備館についての記述もある。



 『【萩藩校明倫館 有備館】

  「西日本一」の教育施設と称えられた藩校明倫館に現在も残る、明倫館の槍剣道場「有備館」。

  藩士の練武の他、他国からの修行者の試合場ともなり、龍馬は、久坂ら松下村塾生とワラ束を斬ったり、少年剣士と試合をしたといわれている。 』


 ここに在りし日の坂本龍馬が訪れていた、と思うと、なんか感慨深い。(つづく)

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2013年6月26日 (水)

第108段:山口県ツーリング記(2013/5/2) (3)~明倫館

 昨日に引き続き、明倫館について。
 明倫小学校の南東側の門の前に明倫館についての説明書きの看板がある。それによると。。。

 ■明倫館は、享保3年(1718) 5代藩主毛利吉元が藩校の創建を命じ、堀内に完成する。以降、館の拡張を行ってきたが、弘化3年(1846) 13代藩主毛利敬親が時勢の進展に伴い移転重建を下命、嘉永2年(1849)江向に新明倫館が完成し、移転する。

 ■慶応3年(1867) 藩校としての明倫館は廃止される。
(つづく)


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↑明倫小学校本館
  明倫館跡に昭和10年(1935)に建て替えられた明倫小学校舎で木造入母屋造、洋瓦葺、二階建ての建物である。平成8年(1996) の文化財保護法の改正により創建された文化財登録制度により、山口県第1号として一回目に登録されている。(上述の説明書きより)


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↑本館西側

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↑本館東側

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2013年6月25日 (火)

第107段:山口県ツーリング記(2013/5/2) (2)~明倫館

 道の駅 「萩往還」には、8:50くらいに着いた。
 9:00から休憩所が開くので、それを待ち、休憩所でポメラで日記をつける。9:50頃出発。

 萩市内のセルフのガソリンスタンドで給油後、鍵曲(かぎまがり)の方へ向かうが、その途中で、明倫館跡が見えたので、先にこちらを見ることにした。

 旧萩藩校明倫館。歴史的建造物が現在は明倫小学校になっている。
 明倫館は萩の中心部にあり、藩によって科学技術や教育振興が行われていた、全国有数の規模を誇る藩校。当時の有備館(ゆうびかん)(剣槍術稽古場)や南門、また、全国で現存する唯一の水中騎馬練習場「水練池(すいれんいけ)」などがある。


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↑門の前に「明倫館址」の碑がある。

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↑旧明倫館の周りは白い壁で囲まれている(全周ではないが…)

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↑上の写真の反対側から撮ったもの。白い壁、青い空のコントラストが美しい。

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↑南門。
 嘉永2年(1849)に新明倫館の正門として建てられたもので、通称表御門と呼ばれていた。木造切妻造、本瓦葺、桁行3.94m、梁間3.15mの一間一戸の四脚門で、左右に袖があり、潜門がついている。(つづく)

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2013年6月24日 (月)

第106段:山口県ツーリング記(2013/5/2) (1)

 5:55頃に起きる。そのまま、一眼レフカメラのデータの一部を消去していた。この時点で残り枚数が80枚くらい。ツーリングですでに1,000枚くらいの写真を撮っている。もともと過去のデータをそのまま残していたので、このままでは足りないからだ。

 6:17本格的に起き出す。
 いつものように、キャンプ場の写真を撮る。


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↑阿武川温泉ふれあい会館前のキャンプ場(というより公園?)。これだけ広々としている。

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↑帆船を模した遊具の隣(向かって左)にテントを張った。

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↑バイクはテントの裏に停めた。

 今日は昨日に引き続き、萩市を見て回るので、テントは設営したままだ。そのため撤収作業をしなくてよいので、楽だ。

 持っていく荷物をまとめながら、朝食をとる。
 朝食は簡単にパン、バナナ、ヨーグルト、野菜ジュース。お湯をJETBOILで沸かし、紅茶を淹れる。

 昨日の外国人チャリダーは8:20頃に起きてきた。やはりチャリダーは疲れるのかな。
 8:40出発。(つづく)

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2013年6月23日 (日)

第105段:山口県ツーリング記(2013/5/1) (14)

 18:00、ザ・ビックエクストラ萩店到着。
 寒いので夕食を鍋にしようと思ったが、野菜などを買うと使い切れず余ってしまう。悩んだあげく、餃子にした。買ったのは、餃子、煮豆(賞味期限が近く安売りしてた)、ブロッコリーの芽、パン2個、ヨーグルト、野菜ジュース3個、スナック菓子。18:35出発。

 阿武川温泉ふれあい会館に着いたのは、19:00頃。ちょうど日が暮れた時刻くらいだ。
 ふれあい温泉の受付に行き、まずはキャンプをしたい旨申し出る。料金を訊いたら、1泊\300だった。なんとリーズナブル!2泊したいので、\600支払った。

 受付のおばさんは、
 『温泉に入るなら、(午後)9時まで。受付は8時半までだから。』
と言った。
 『はい。大丈夫。テントを設営するだけだから、20分くらいでまた来ます。』
 このときは、そう思っていたんだけど…。


 ここは、昨日来ているから、トイレや水道の位置の把握はできている。
 すぐにテントの設営にとりかかる。
 

 さて、テントを設営する場所をどうするか、だが…。東屋とベンチ、東屋近くには街灯や木があり、テントの設営に理想的な場所だ。
 
 
 ただ、1点難点がある。温泉会館に入る道のすぐ側なので、車の往来がある。それがちょっと煩わしい。

 
 そこで、川側の子供用の帆船をイメージした遊具の隣に設営することにした。バイクは、テントサイトとなる公園と川の護岸との間に道があるので、ここに停めた。これなら、設営場所近くまでバイクを乗りつけられるので、都合がいい。


 テントを張っている作業をしていると、一人のチャリダーが走っていくのが見える。そういえば、キャンプの受付のため、会館に行ったとき、1台の自転車が入口付近に停まっていた。

 こちらを見てる。彼もここでキャンプかな?
 そう思ったが、しばらくして見るといなかったので、立ち去ったのだろう―。
 と思っていたら、いきなり背後から声をかけられた。
 『Camping? Here?』
 しかも英語で。

 背の高い(180cmくらい)、外国人の若者が立っていた。白人系で20歳過ぎくらいかな。
 なんか英語は片言だ。こちらのレベルに合わせてくれた? こっちもしどろもどろしながら、身振りと片言の英語で、

  “あちらにキャンプ場受付があるので、1泊\300を払えばいい ”

ということだけ伝えた。今思えば、もう少し話をすればよかったな。 名前とか年齢とかどこから来たのかとか…。


 さて、テント設営を再開したとき、重大なミスに気づいた。

 『あれっ? ペグがない!』

 いやいやいや。そんなはずないだろう。使ったじゃないか。
 いつ?
 昨日は、板の間の東屋でテントを設営したので、ペグを使っていない。
 (
第91段:山口県ツーリング記(2013/4/30) (8) 参照)

 ということは?

 2日前に泊まったR262(国道262号)沿いの休憩施設。あそこで野営したときに忘れてきたのか。

 なんてことだ。ペグは予備の1本だけが残っている。テントの設営には、最低7本のペグが必要なのだ。

 致しかたない。重そうな石を探す。石にロープを巻き付け、それをテントのペグをかけるためのフックと結び、重しとする。テントサイトの周りに石はなく、少し離れたところにコテージがあり、そこの近くから、漬け物石のような石を8個プラスα持ってきた。

 石を探してきたり、それにロープを結んだりと通常のテント設営ではしないことに時間をとられた。テント設営だけに、約1時間かかってしまった。(-_-;
 何が20分だか。。。


 米を洗って、水に浸けておいてから、温泉に向かう。
 温泉は\400也。この値段もリーズナブルだ。
 結局20時くらいになってしまった。温泉の営業は21時まで。長風呂はできないな。

 受付でロッカーのカギをもらう。

 浴室に入ると、風呂は露天風呂と内風呂。それ以外に、打たせ湯、サウナなどもある。カランは5つ。なかなか気持ちいいお風呂だ。

 20:50くらいにふれあい会館を出る。先の外国人チャリダーはすでに食事を済ませているらしく、テントを設営するとすぐにテントに入ってしまっている。

 こちらは、これから夕食の準備だ。
 ちょっと風があるので、ご飯は帆船の形をした遊具の中で炊いた。ここなら風の影響を受けない。その間に洗濯物を干し、ベットメーキング(マット、シュラフ、空気枕を準備するだけだが…)、おかずの準備をした。

 今日は、ビールを飲まない予定だったが、買い置きしてあった、350mLの一番搾りで一人乾杯する。今までの無事に感謝。これからの旅の安全を願って。
 今日もいろいろなことがあった。。。
 山田顕義の誕生地を見られたが、その前に立ちゴケ。
 東光寺、吉田松陰誕生地、萩城城下町。。。
 最後にペグを忘れたことに気づき。。。


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↑夕食公開(^^)。こんなこともあろうと、持参のアルミホイルで餃子は蒸し焼きにした。ご飯は健康のため、発芽玄米。


 空を見上げる。
 満点の星空だ。星が瞬いている。東京は夜でも明るすぎるため、晴れていても、これだけの星は見えない。

 北の空。北斗七星はすぐに分かった。とすると、北極星はあれか。。。

 空を見上げて星を見る。この前はいつだっただろう。星空を見たのは―。やはり旅はいい。。。

 洗いものは水に浸けておくだけにして、洗うのは明日にしよう。
 22:30頃就寝。(つづく)

(67482.4km (1日の走行距離40.0km) (4/26の出発から402.8km)) 

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2013年6月22日 (土)

第104段:山口県ツーリング記(2013/5/1) (13)~江戸屋横町

 第103段:山口県ツーリング記(2013/5/1) (12) の中で街にある小さな地図の話をした。

 その地図を見ればわかるが、立て看板とその地図は、呉服町通りと江戸屋横町の交差点にある。そこから江戸屋横町を南に歩くと、すぐ木戸孝允の旧宅に到着する。

 道の駅「萩往還」で “松陰記念館”を見たが、そこに以下のようなポスターが貼られていた。
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 ここに写っている、いかにも萩、という風景。木戸孝允旧宅なのではないか、と思う。行ったときには、その隣の家の壁が改修中で、工事用フェンスで囲われていたため、ポスターと同じような写真は撮っていない。

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↑江戸屋横町(木戸孝允旧宅付近)

 木戸孝允旧宅も中を見学できるのだが、開館時間を過ぎてしまった。中を見るのは明日にしよう。
 結構歩き回った。
 現在17:40。
 これからザ・ビックエクストラ萩店で食材を買い、ちょっと遠いが、阿武川温泉へ行こう。(つづく)

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2013年6月21日 (金)

第103段:山口県ツーリング記(2013/5/1) (12)~菊屋家住宅

 萩城城下町にやって来た。
 ここは、国指定史跡になっている。
 ちょうどこの立て看板の裏が駐輪場になっていて、そこにバイクを停めた。もともとはレンタサイクルの駐輪場なのだろうけど、バイクが停めても問題ないだろう。

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↑以下のような説明となっている。

 『国指定史跡 萩城城下町
  指定年月日 昭和四十二年 一月十日

  説明
 指定区域は萩城三の丸、中の総門から東に続く旧御成道である呉服町の通りと、これに直交する三筋の小路(東から江戸屋屋敷、伊勢屋横町、菊屋横町)及びこれらの小路の南端が直交する道路に囲まれた範囲並びにその周辺の一部。

 呉服町通りには、萩藩御用達の菊屋家や幕末の商家久保田家などがあり、小路沿いは中・下級の武家屋敷で、史跡木戸孝允旧宅、青木周弼・周蔵の旧宅(江戸屋横町)、高杉晋作旧宅跡(菊屋横町)などがある。

 町筋とともに商家や武家屋敷の家並みの配置がよく保存され、城下町の景観を偲ぶことができる。』

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 ↑街のあちこちにこのような小さな地図が配置されていて、現在地を知ることができる。今でこそ、携帯電話やスマホがあれば不要なのかもしれないが、一旅人として、嬉しい心遣いである。この地図は、上述の『萩城城下町』の説明板の隣にある。すなわち、この写真の現在地に、駐輪場がある。

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↑菊屋家住宅
 なまこ壁がなんとも城下町の雰囲気たっぷり。この写真は菊屋横町から撮影したもの。菊屋横町は「日本の道百選」にも選ばれている。

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↑日本の道百選の碑

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↑同上

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↑菊谷家住宅のなまこ壁
 このアングルの写真は、たびたび何かの折りに目にしているかもしれない。この写真も菊屋横町から撮影したもの。上述の写真を道の反対側から撮影した。『るるぶ 山口 萩 下関 門司港 津和野 '13~'14年版』の萩の紹介ページに出ていた写真に似せている。

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↑菊屋家住宅
 この写真は、呉服町通りから撮影している。右側の通りが菊屋横町。
 萩藩主・毛利輝元の御用達商人・菊屋家の住宅で、主屋や本蔵などの5棟が国の重要文化財に指定されている。大居間は藩の重役を迎える迎賓室だったそうで、「商人」と「武家」の2つの側面を見ることができる。
 拝観料500円也。
 開館時間:8:30~17:30(入館は17:15まで)

 閉館時間ぎりぎりだったので、この日は内部の見学はできなかった。(つづく)


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2013年6月20日 (木)

第102段:山口県ツーリング記(2013/5/1) (11)~吉田松陰誕生地

 吉田松陰誕生地内に案内看板がある。
 それには、以下のように書いてある。

 『萩市指定史跡
  吉田松陰誕生地

 ここは吉田松陰の実家、萩藩士杉家(実禄26石)の旧宅地である。

 この付近は「団子岩」と総称され、萩城下が一望できる風光明媚な場所である。

 杉家の建物は、元は萩藩士八谷(やたがい)聴雨の山荘であり「樹々亭(じゅじゅてい)」と称していた。

 松陰は、天保元年(1830)8月4日、杉百合之助の次男としてここに生まれ、19歳までの人間としての形成期を過ごした。

 両親や兄弟とともに農耕に従事し、その合間には父から漢籍(かんせき)の素読(そどく)などを受けた、思い出深い場所である。松陰自身の書き残した書の中にも、「樹々亭」「山屋敷」「山宅」などの表現が見られる。

 旧宅の間取りは玄関(3畳)、表座敷(6畳)、居間(6畳)、隠居部屋(3畳)、納戸(3畳)、台所、それに別棟の納屋と厩(うまや)という、非常に簡素な造りであった。

 嘉永6年(1853)に杉家が転居した後、いつしか建物などは失われ、荒れ果てていたが、大正11年(1922)に椿東(ちんとう)村青年会会長信国顕治(のぶくにけんじ)が、青年会員に呼びかけて整備した。当時の間取りを示す旧宅の敷石も、後に住んでいた人の記憶によってこの時復元したものである。

 整備に合わせて山県有朋が「吉田松陰先生誕生之地」石碑の題字を揮毫(きごう)している。肩書きを「門下生」のみとしているところに、師に対する謙譲の気持ちが表れている。なお、山県有朋は整備完了前に死去したので、これが絶筆となった―』


 それにしても今日は風が強い。しかも北風なので冷たい。風にまともに当たると、体感温度が15℃くらいになってしまいそうだ。(体感温度は適当だが、それほど寒い。)

 現在16:06。
 山田顕義誕生地、東光寺、吉田松陰誕生地の3か所しか見ていないのに、もうこの時間か。各々のところで長居しすぎたかな。
 外観を見るだけなら、それほど時間はかからないと思い、萩城城下町の方へ行く。(つづく)


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【付録】
 ところで。上記ツーリング記とは、まったく関係ないが、このブログを書いている途中(6/19 23:40頃)、突然停電した。 あわてず、手近にある懐中電灯を持ち、うちだけが停電なのか、この地区全体なのかを確かめる。
 玄関から外見ると、街灯が点いていない。この辺りの地区全体が停電らしい。
 部屋にある、アウトドア用のランタンを点ける。
 こういうときにもアウトドア用品は便利だ。部屋には、ランタンが2つあった。それらを点けてしばらくしたら電気が点いた。時間にして5分くらい?
 UPSは付けていないから、停電するとパソコンはすぐに落ちてしまう。こういうことがあると家庭でもUPSを導入した方がよいのかな、と考えてしまう。
 

2013年6月19日 (水)

第101段:山口県ツーリング記(2013/5/1) (10)~吉田松陰誕生地

 東光寺を後にして、吉田松陰の誕生地を訪れた。ここは東光寺から約450mしか離れていない。誕生地のすぐ側には、松陰をはじめ高杉晋作、久坂玄瑞など 第93段:山口県ツーリング記(2013/5/1) (2) や 第94段:山口県ツーリング記(2013/5/1) (3) で紹介した明治維新で活躍した人々の墓もある、そうなのだが、墓には寄らなかった。

 
 吉田松陰の誕生地は、家は残っていない。家の間取りが敷石で表現されているだけだった。端の方に松陰産湯の井戸が残っている。

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↑吉田松陰誕生地(家の間取りを表す敷石)


 ここは、景色はいい。
 高台にあるため、萩の街が一望できる。
 ほぼ正面に萩城跡がある「指月山」が見える。

 吉田松陰はこの景色を見て育ったのか。。。


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↑松陰誕生地から見える萩市街と指月山


 誕生地の横に銅像がある。
 吉田松陰と金子重輔の師弟が、下田沖のペリー艦隊を見つめている姿を表している。(つづく)


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↑吉田松陰先生銅像
 この銅像は、明治維新100周年を記念して1968(昭和43)年に建立されたものである。松陰先生が弟子の金子重輔を従え、下田沖のペリー艦隊を見つめている姿を彫刻したもので、高さは約8mある。題字は当時の佐藤栄作首相が書き、銅像は萩出身の日展審査員長嶺武四郎が製作している。(銅像の説明書きより)


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2013年6月18日 (火)

第100段:山口県ツーリング記(2013/5/1) (9)~東光寺

 昨日、6月17日付  第99段:山口県ツーリング記(2013/5/1) (8) において毛利氏廟所(びょうしょ)についての説明を省いたので、今日はそれを。
 なお、以下の記述は、廟所入口にある、案内看板の受け売りである。一字一句まで同じではありませんが (^^;。

 第99段の写真を見ながら。。。

 国指定史跡   萩藩主毛利氏廟所
 指定年月日   昭和56年(1981) 5月2日

  毛利氏廟所は、3代藩主毛利吉就(よしなり)から11代までの奇数代の5藩主と夫人および一族、関係者の墓40基などがあり、総面積5,179.55m2である。

  廟所の周囲には玉垣16箇所、神道碑6基、鳥居5基、石灯籠500数基、参道の石畳などの石造仏が廟所入口の小門内にある。 

  また門外には方生池(ほうじょういけ)と、それに架かる石橋、維新殉教者の墓などがある。

  小門内の藩主夫妻・一族その関係者の墓は、唐破風(からはふ)の笠石を付けた角柱形で、特に藩主夫妻のものには家紋が陽刻(ようこく)してある。

  天樹院(てんじゅいん)廟所(萩藩祖輝元の墓)、大照院廟所(初代藩主秀就(ひでなり)と2代から12代藩主の墓)とあわせこれら3か所の廟所は、藩政時代の大名家の葬制(そうせい)や墓制(ぼせい)を知るうえで貴重である。。。

 とのこと。(つづく)



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2013年6月17日 (月)

第99段:山口県ツーリング記(2013/5/1) (8)~東光寺

 毛利氏廟所には、正面に萩藩主の3代毛利吉就、5代吉元、7代重就、9代斉房、11代斉元の墓碑とそれぞれの夫人の墓碑、計10基の墓碑が並び、その前に石灯籠が整然と並んでいる。
 確かに石灯籠約500基が整然と並ぶ様は圧巻であった。灯籠自体はほとんどがこけむしていた。
 この石灯籠すべてに火が灯ったら、さぞ荘厳な雰囲気になることだろう。(つづく)


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毛利氏廟所(写真中央に10基の墓碑が並ぶ)

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↑石灯籠

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↑墓碑の前から参道を見る。

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2013年6月16日 (日)

第98段:山口県ツーリング記(2013/5/1) (7)~東光寺

 顕義園を見た後、すぐ近くの東光寺に行ってみる。全国屈指の黄檗宗(おうばくしゅう)の寺院で総門、三門、鐘楼、大雄殿は、国の重要文化財に指定されているという。
 また、ここは毛利氏の菩提寺であり、毛利家廟所(びょうしょ)(つまりお墓)がある。なんでも約500基の石灯籠があるそうだ。それは見てみたい。

 総門をくぐると、右側に料金所がある。
 拝観料300円也。

 すぐに三門が見える。
 三門を越えると左手に鐘楼、さらに進むと大雄宝殿(だいおうほうでん)がある。
 毛利家の廟所は大雄宝殿のさらに奥だ。(つづく)

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↑東光寺総門
  護国山東光寺は、元禄4年(1691) 3代藩主毛利吉就(よしなり)が萩出身の名僧慧極(えごく)を開山として創建した全国有数の黄檗宗(おうばくしゅう)の寺院である。
 総門の創建は、元禄6年(1693)の慧極筆「護国山」の扁額(へんがく)が掲げてあるので、そのころ完工されたものと思われる。
 建物は、三間二戸の八脚門、桁行(けたゆき)8.7m、梁間(はりま)3.12m、一重切妻造(きりつまづくり)、中央高屋根左右低屋根段違い本瓦葺である棟の両端には魔伽羅(まから)を飾り、黄檗宗特有の形式を示す遺構である。


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↑東光寺三門
  東光寺が創建されて、121年後の文化9年(1812)10代藩主毛利斉熙(なりひろ)が寄進したものである。規模は桁行11.4m、梁間6.5mの2階二重門で左右に上層部へ上るための山廊がある。屋根は入母屋造本瓦葺(いりもやづくりほんかわらぶき)、中央に露盤付き宝珠を置き、2階には昆盧遮那仏(びるしゃなぶつ)、十八羅漢などが安置されている。全体の構造の形式は禅宗様である。規模も大きく地方寺院の三門として見ごたえがある。


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↑東光寺鐘楼
 鐘楼の建築年代は元禄7年(1694)に4代藩主毛利吉広(よしひろ)によって、梵鐘(ぼんしょう)が寄進されているので、そのとき同時に建立されたものと思われる。
 
 建築面積52.12m2の黄檗宗特有の一重裳階付入母屋造り(もこしつきいりもやづくり)本瓦葺きで、身舎組物は大雄殿と同じ手法をとっている。
 上層には梵鐘がつってあり、鐘名は初代住職慧極(えごく)の撰で、萩藩の名工御細工人、鋳物師 郡司喜兵衛・信安 父子が鋳造したものである。


  

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↑東光寺大雄宝殿
  元禄11年(1698) 4代藩主毛利吉広によって建立されたものである。建物面積289.61m2の一重裳階付きの仏殿形式で、正面一間通りは吹き放ちになっている。屋根は入母屋造り本瓦葺きで棟中央に宝珠と両端に鯱を置いている。堂内の土間は漆喰叩仕上げで、建物中央部に格子天井を張るなど黄檗宗建築の姿をとっているが、細部を見ると一般的な唐様の手法がみられる。

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2013年6月15日 (土)

第97段:山口県ツーリング記(2013/5/1) (6)~顕義園

 山田顕義誕生地、「顕義園」は、家があるわけではなく、公園のように整備されている。入口にある説明書きによると、ここは日本大学が建学90周年を記念し、1979年に建設したものだという。つまり国や地方自治体が建設したものではないのだ。あまり観光地のようになっていないのは、そのためか。

 園の中央に顕義の像が立ち、その周りを各学部が植樹した記念樹が囲んでいる。日本大学というと学部が14もあるが、記念樹は、経済学部、商学部、法学部、工学部、理工学部。。。などなど。すべての学部が植樹しているわけではないようだった(もし、見落としていたら申し訳ないが)。(つづく)


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↑道の横に小さな川が流れていて(写真左下の土手)、その川を渡ったところに顕義園があった。

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↑顕義園

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↑入口の横にある説明書き

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↑顕義園入口。写真中央奥に立つのが、山田顕義の銅像。

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↑山田顕義像

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↑経済学部記念樹。左上に顕義像が見える。

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↑商学部記念樹

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↑顕義像と略傳(りゃくでん)(左の碑)

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↑ “山田顕義略傳  日本大学第七代総長 高梨公之記 ”とある。 

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2013年6月14日 (金)

第96段:山口県ツーリング記(2013/5/1) (5)~顕義園

 県道32号を北上して萩市内に入った後、右折して県道11号を走る。が、 “山田顕義誕生地”などを記した看板は何もなく、3kmほど行き過ぎてしまう。戻って、東光寺入口の標識のところを左折し、少し走ってようやく案内看板を見つけた。細い路地を左に折れると約350mで山田顕義誕生地だという。

 
 さて。
 どこにその誕生地があるのか、と思ったら、その所在に気付かせてくれたのは、カーブミラーの看板。うーん。どうも扱いが…。

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↑山田顕義誕生地  “顕義園(けんぎえん)”を示すカーブミラー

 ちょうど駐車場がある、と思ったら、それは対面にある窯元?の来客者用の駐車場なので、そこには停められない。Uターンして、道の左側にバイクを寄せて停め、バイクから下りようとしたときだった。

 サイドスタンドを出してない!

 それに気付いたときには、時すでに遅し。バイクは傾き、自力で立ち直る限界角度を突破した。つまり立ちゴケしたのである。(-_-;

 こうなると、そのままでは一人で起こせない。キャンプ道具満載のセローは、一人では起こせない。荷台の荷物を全て下ろさないとダメだ。

 こんなところで、立ちゴケとは。ガソリンもちょっとこぼれてしまった。後でツーリング中の平均燃費から計算すると、約120mLのガソリンが流出したようだ。

 
 一度、荷物を全て下ろしてから、バイクを起こし、再びパッキング。
 観光する前に、汗だくになってしまった。
  “顕義園 ”については、次回ということで(^^;。(つづく)


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2013年6月13日 (木)

第95段:山口県ツーリング記(2013/5/1) (4)~道の駅 萩往還

 出発が遅かったのと、松陰記念館を見ていたら、時間もちょうどお昼になった。記念館に併設されている食堂で昼食にする。あじフライ定食にしようとしたが、売り切れのため、天丼にする。ご飯の量が少ない。エビの大きさの割に衣が厚いなど、不満だが、観光地ではこんなものだろう。750円也。
 今にして思えば、隣のレストラン “美蘭牛ダイニング・玄(げん)”で食べればよかった。おいしそうなハンバーグの写真が道の駅のパンフレットに載っている。天然記念物の見島牛100%の肉を使っているそうだ。。。

 
 現在12:25。
 松陰記念館を見たことで、萩の見たいところをだいたい把握した。萩市を1日で見て回るなど不可能だ。第一、今日はもう半日を使ってしまった。もう一日滞在することにしよう。当初の予定から変わるけど、そこは一人旅だし、行き当たりばったりな旅だし(^^)。

 その場合、泊まるところをどうするかだが、昨日入りそびれた阿武川温泉で風呂に入って、その目の前の公園兼キャンプ場で野営すればいいな。萩の中心街からは10kmほど離れているが、バイクだから気にする距離ではない。

 12:50過ぎ、道の駅「萩往還」を出発。山田顕義誕生地に向かう。(つづく)


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↑6月12日の 第94段:山口県ツーリング記(2013/5/1) (3) で書いた松陰記念館にある萩のジオラマ。明治維新前後の時代のものを再現したと思われる。左上が萩城。三方が海というまるで要塞のような城である。

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2013年6月12日 (水)

第94段:山口県ツーリング記(2013/5/1) (3)~道の駅 萩往還

 さて。 昨日の第93段:山口県ツーリング記(2013/5/1) (2) では、銅像の方々の細かい説明をしなかったので、今日は歴史の勉強ということで(^^)。

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↑山県有朋

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↑木戸孝允(桂小五郎)

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↑伊藤博文(初代総理大臣。旧千円札の肖像になっていましたね。)

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↑品川弥二郎

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↑山田顕義

 昨日の銅像の写真の中で、以下の3人は説明書きに顔写真がなかったので、テキストでの説明です。


高杉晋作(たかすぎ しんさく) 天保10年-慶応3年(1839-1867)
⇒萩城下の菊屋横町に武士の子として生まれる。
 19歳の時に、友人の久坂玄瑞のすすめで松下村塾に入塾し、久坂と並んで村塾の双璧と称された。長野の佐久間象山を訪ね学んだ。
 身分に関係なく組織された奇兵隊を結成し、四境戦争などで連戦連勝して長州藩の勝利におおいに貢献した。幕末にたいへん活躍したが、明治維新を見る直前に下関で病死。


吉田松陰(よしだ しょういん) 天保元年-安政6年(1830-1859)
⇒江戸時代の終わり頃、萩の松下村塾で幕末の志士や明治維新に活躍する多くの人材を育てた。萩藩士の二男として、萩の松本村に生まれ、幼くして吉田家の養子となり、山鹿隆平学師範(やまがりゅうへいがくしはん)の職を継ぐ。また松陰は生涯にわたって日本中を旅している。
 世界に眼を向けた松陰はアメリカ軍艦で海外渡航しようと計画したが失敗。その後、安政の大獄によって処刑された。


久坂玄瑞(くさか げんずい) 天保11年-岩治元年(1840-1864)
⇒萩城下の平安古で生まれる。松陰と出会ったのは17歳の頃で、松陰から「防長年少第一流の才気ある男」と評される。松陰の妹の文(ふみ)と結婚して松陰の実家・杉家に同居し、松下村塾での松陰の教育事業を助けていた。
 吉田松陰の亡くなった後の村塾ではつねに中心的人物だった。京都の蛤御門(禁門)の変の戦いで負傷し、25歳の若さで亡くなった。

 ひと通り、銅像を見てから、松陰記念館に入る。
 松下村塾の様子を人形を使って再現していたり(ちゃんと解説で音声が流れる)、萩の街のジオラマがあったり。吉田松陰の歩みと幕末の時代との関係がよく分かった。
 幕末~明治維新の歴史の授業で、萩に来られれば良かったのに、と思う。(つづく)

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2013年6月11日 (火)

第93段:山口県ツーリング記(2013/5/1) (2)~道の駅 萩往還

 バイクへの荷物の搭載を終え、出発。 「道の駅 萩往還」内にある松陰記念館にやってきた。 まず、ここで近代の歴史を振り返るとしよう。入館は無料だ。
 と、その前に。この道の駅の名前である「萩往還」について。
 以下は、道の駅に置いてあるパンフレットなどの受け売りなのだが。。。(^^;

 『萩往還は、毛利氏が慶長九年(1604年)萩城築城後、「お成り道」(江戸への参勤交代で通った道)として開かれた街道。

 日本海に面した萩城下町(唐樋札場(からひふだば)/萩市)から、瀬戸内海の海港・三田尻(三田尻御茶屋/防府市)までをほぼ直線で結んでいる。

 全長およそ53km。 もとは参勤交代道として整備された道であったが、庶民にとって山陰と山陽を結ぶ「陰陽連絡道」として重要な交通路となった。幕末には、 “坂本龍馬”、 “吉田松陰”など維新の志士たちが往来しており、歴史上重要な役割を果たしている―。』

 上述の説明で出てきた “唐樋札場 ”は、現在萩市内に再現されている。これは後ほど(何日後になるか分からないが、)ツーリング記で紹介しよう。

 さて。松陰記念館の前には数体の銅像がある。皆、萩や吉田松陰に関係のある人ばかりだ。その説明は、次回。(つづく)

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↑山県有朋(左)、木戸孝允(桂小五郎)(中央)、伊藤博文(右)


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↑品川弥二郎(左)、山田顕義(右)

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↑高杉晋作(左)、吉田松陰(中央)、久坂玄瑞(くさかげんずい)(右)

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2013年6月10日 (月)

第92段:山口県ツーリング記(2013/5/1) (1)

 5:55頃目覚める。
 外は寒そうだ。シュラフから手を出すとすぐに冷たくなる。起きたまましばらく横になっていた。寒すぎて外に出たくなかったというのが、本当のところ。
 6:17起床。撤収に取りかかる。

 昨夜は、夕食が遅かったのと、あまりの寒さですぐに寝てしまったため、暖かいお茶を作れなかった。どうせ湯を沸かすなら、朝食用の紅茶も作ろう。。。普段は、朝食に時間を使わないため、パンとヨーグルト、野菜ジュースくらいで済ませてしまうのだけど。バーナーの準備やお茶を作ったり、朝食をゆっくり食べたり、また、ポメラで日記を記録したりしていたら、あっという間に時間が経った。撤収が終わったのが10時。

 外は気温が低い。NHKラジオによると3月並みの気温だと言っていた。それに風が強く余計に寒く感じる。今日も防寒としてレインウェアを着ておこう。(つづく)

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↑東屋に設営したテント。下が板の間のため、ペグが打てない。フライシートはベンチに紐でくくりつけた。東屋だと洗濯物も夜露で濡れない。が、気温が低かったため、あまり乾かなかった。

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2013年6月 9日 (日)

第91段:山口県ツーリング記(2013/4/30) (8)

 県道32号沿いの休憩施設に着いたのが、21:00頃。
 およそ理想とするキャンプのタイムテーブルとはかけ離れている。
 本来は、17時にはテントを設営しておくべきなのだ。

 結局、東屋にテントを張ることにした。周りが暗いので、作業が進まない。東屋の下は板の間なので、ペグは使えない。フライシートとテントを紐で結びつけ、さらにテントが動かないように、東屋に据え付けのベンチの足に紐を結ぶ。通常とは異なる設営のため、時間がかかり、ようやくテントを張り終えたのが、21:30。荷物の運び込み等を行っていたら、すでに22:00になってしまった。ヤレヤレ(-_-;

 道路を挟んだ向かい側に地下通路を通って水を汲みに行く。テントを設営した東屋のあるところは、その東屋の他に、トイレと飲み物の自動販売機しかない。売店、レストランなどは、道を挟んだ向かい側にあった。トイレの横に屋外の水道(水飲み場)があったので、そこで水筒に水を入れる。

 その水道の前。もともと喫煙所となっている小さな東屋の前に新潟ナンバーの大型スクーターがあり、東屋の中にテントを張っていた。テントはちょうど東屋に収まるサイズだった。なかなか賢いな。だけど。。。この場所は売店やレストランから近いので、朝になればすぐに人がやって来る。明朝の早い段階で撤収が必要だ。
 一方、私がテントを設営した東屋は、単なる休憩スペースで周りには何もないから、撤収が多少遅くなっても大丈夫だろう。

 戻ってきて、夕食を作りながら、一人ビールで乾杯。今日も無事でよかった。。。 ビールは一口目はうまいと思ったが、さすがに寒すぎた。結局身体が冷えてしまい、500MLを全て飲みきることはできなかった。食事を終え、一通りの片付けを終えたのが、23:20頃。

 寒いこともあって、早々に寝る。食べたすぐ後で寝るのはどうかとも思ったが、寒すぎてそれどころではない。体感温度は5℃くらいだ。
 テントの中では、ズボンにレインウェアの下を履いたままシュラフに入る。その上からライディングジャケットとレインウェアの上着をかける。寒いと思ったが、シュラフの首周りを閉じると熱気がこもり、暖かい。3シーズン用のシュラフとはいえ、さすがはダウンだ。
 横になったらすぐに寝てしまった。(つづく)

(67442.4km (1日の走行距離97.6km) (4/26の出発から362.8km)) 


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2013年6月 8日 (土)

第90段:山口県ツーリング記(2013/4/30) (7)

 阿武川温泉ふれあい会館を16:35に出発。
 17時前くらいに萩の中心街に到着。JR萩駅に向かう。

 萩駅の駅舎は登録有形文化財。駅自体は無人駅だ。
 駅を正面から見て右側、すなわち西側は鉄道博物館みたくなっている。入場は無料だ。
 駅舎をバックにセローの写真を撮ってから見てみよう。


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↑JR萩駅

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↑萩駅中央部

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↑萩駅の説明書き

 と、思ったら、写真を撮っている間に17時になってしまい、閉館してしまった。
 しまったな。

 駅舎の隣の建物に萩市観光協会があるので、中を見てみる。温泉が入れるホテルのパンフレットをもらったり、食材を買えるスーパーの位置を教えてもらう。現在17:20。寝床は相変わらず決まらない。

 観光案内所でもらった、萩市内の地図を見ると、野営できそうなところはない。周りに人家のない公園などを期待したのだが。
 そうすると宿泊場所の候補としてはあと一つだけだ。萩駅から3kmほど南にある休憩施設。だが、野営できるとは限らないが。。。

 まず行ってみよう。県道32号の両側にその休憩施設がある。32号は車の通行がひっきりなしで結構うるさい。
 だが、板の間だが、東屋がある。反対車線側には、駐車場のさらに端っこにテントが張れそうなスペースがある。夜陰に紛れて、ここに寝るか。一日くらいテントを張っていても、うるさく言わないだろう。朝には撤収するのだから。東屋か駐車場のさらに奥か。どちらにテントを設営するかは後で決めよう。

 そういえば、ここの駐車場に札幌ナンバーの白色のワンボックスタイプのキャンピングカーが停まっていた。恐らく「道の駅 長門峡」で掃除のおばさんが話していた北海道から来たリタイヤした夫婦の車なのだろう。

 休憩施設を18:25発。もう辺りは暗い。
 休憩施設から2kmくらいのところにザ・ビッグエクストラ萩店(AEON系スーパー)があった。帰りにここで食材を買おう。観光案内所のパンフレットにあった近場でいちばん安い風呂が入れる「ホテル萩の浜」に行った。600円也。
 風呂を出て20:20くらい。急いでザ・ビッグエクストラ萩店に向かう。着いたのは、20:35くらい。閉店が21時だからぎりぎりだ。手早く買い物を済ます。豚肉にショウガ焼きセット、モヤシ、ビール500mL(一番搾り)、それに明日の朝食用にパンとヨーグルトだ。(つづく)


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2013年6月 7日 (金)

第89段:山口県ツーリング記(2013/4/30) (6)

 それにしても寒い。今日は1日防寒のため、上下にレインウェアを着込んでいる。それでも寒い。県道344号を左折し、県道310号に入ると、ワインディング。道幅が狭いが、後続車も対向車もいない。車では、この道は厳しいだろう。第一すれ違うのに一苦労だ。阿武川ダム湖を巡る県道10号は奇岩の景観がすごい。ところどころでゆっくり通過したり、バイクを停めて写真を撮る。
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↑阿武川ダムのダム湖にはこのような奇岩が多い。

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↑岩に名前が付いている。因みに上の岩の名前は「重塀岩」


 さて。ようやく「たけいだに緑の村キャンプ場」の近くに来た。
 しかし、キャンプ場がない。見つからない。立て看板の類もない。
 『おかしい。。。』
 普通は利用者に分かるように、看板があるものなのに。
 ありそうなところを2往復した。かなり探し回ったが見つからない。
 
 これじゃ、昨日(4/29)の “萩アクティビティパーク”と同じだ。いや、このときはまだ、キャンプ場はあった。休みだっただけで。しかし、今回はキャンプ場そのものが見つからない。
 さて、どうしたものか。。。
 どうして、連日泊まるところに苦労するのだろう。

 
 それにこんな山の中では、コンビニもない。夕食は手持ちの非常食料(サンマの蒲焼き缶詰と味噌汁)にしようか。。。
 まっ、とりあえず先に温泉に入ろう。阿武川温泉ふれあい会館の温泉に行く。ツーリングマップルによると\400というリーズナブルな値段だ。行ってみると、温泉の前が芝の公園になっている。24時間トイレや小さいながらも炊事棟、バンガローも1棟ある。
  “キャンプをするときは、ふれあい会館に申し込みと利用料が必要 ”と書いてある。

 ん!? つまり。ツーリングマップルには、温泉のマークしかないが、ここなら温泉に入れて、キャンプもできるのか。
 そりゃあ、いい。好都合ではないか!(^^)

 ところが、である。

 「今日はお休みです。」

 ここの係りの人らしい、会館の周りを掃き掃除していた年輩の女性にそう声をかけられる。
 いや。ちょっと。確かに今日は平日だけど、GW中でしょうに。それなのに、休み?
 つまり、火曜日が定休日ということね。(-_-;

 『せめてキャンプできないか』と訊こうと思ったが、やめた。温泉に入れないし、なにより会館が開いていないのだから、手続きは不可能だ。
 現在、16:25。これはもう、萩方面へ行くしかない。食事は外食にしようか。あと寝るところをどうするか。さまよい人になってしまった。(つづく)

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2013年6月 6日 (木)

第88段:山口県ツーリング記(2013/4/30) (5)

 道の駅「長門峡」に着いたのが、13:55頃。
 ところで。この “長門峡”。てっきり「ながときょう」と発音するのかとおもったら、「ちょうもんきょう」だという。
 長門峡は、山口県を代表する観光地。春は桜、夏は新緑、秋は紅葉、冬は雪景色と春夏秋冬の移りゆく景色を堪能することができる、らしい。。。
 らしい、というのは、申し訳ないがここに来るまで知らなかったので(^^;。

 しかし、立て看板を見ると、散策するのに、片道1時間半ないし2時間くらいかかるようで、往復すると3時間くらいかかってしまいそうだ。行き当たりばったりな旅をしていることだし、見たいところだが、ここは我慢しよう。

 トイレと道の駅のスタンプ押印を済ませ、どういうルートでどこに行こうか考えていると(相変わらずの行き当たりばったりな旅)、次々と声をかけられる。荷台に荷物満載の単車に、八王子ナンバーという組み合わせのためか?
 
 駐車場から売店に行く途中の人、電気関係の工事業者らしき人、道の駅の掃除のおばさん。。。
 問うてくる内容は、いつもの質問。
 「八王子から来たの?」
 「いつ来たの?」
 「ずっと走ってきたの?」
 「これからどこへ行くの?」などなど。

 掃除のおばさんによると、私が東京から来た、というと、上には上がいる、という。
 何のことかとおもったら、北海道からキャンピングカーで来たという夫婦が来ていて、昨日この道の駅に泊まったという。夫は、定年退職していて、悠々自適な旅を続けているとか。
 いやいや。山口県から旅人の出身地までの距離の遠い、近いで競っているわけではないのだが。
 現在14:40。
 今から萩に向かっても津和野に向かっても時間がない。キャンプ場に入ることを考えて出発しよう。ツーリングマップに載っている「たけいだに緑の村」キャンプ場に着くまでに食材を買える店があるといいのだけど(なさそうだな)。(つづく)

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2013年6月 5日 (水)

第87段:0円マップ

 今日も山口県ツーリング記はちょっとお休み。

 タイトルにある “0円マップ”は、三栄書房の雑誌だ。

 『0円マップ北海道』以外にも、関東、信州・北陸、関西・四国、九州などのシリーズがあるが、2010年は全シリーズを刊行していたものの、2011年は北海道と関東のみ、2012年は北海道のみが刊行されていた。

 そして、2013年。『0円マップ北海道2013~2014年版』がそろそろ出るはず、と思ってWebで調べていたら、発売中止だという。

http://www.sun-a.com/magazine/detail.php?pid=5826

 いったい、 “諸般の事情”とはなんぞや?

 雑誌が売れないのだろうか?
 確かにスマフォやタブレット型の携帯端末があれば、地図や地域情報は簡単に手に入る。わざわざ紙媒体を持ち歩く人は少ないのかもしれない。

 が、万人がそれらを利用するわけではない。
 旅に出れば、基本的に野営しかしない身にとっては、電源確保が難しい。携帯電話はともかく、タブレットなど持ち歩けない。

 ツーリングマップと共に必要な情報源だったのに。
 まぁ、今度の旅には、2012~2013年版を持って行くしかない。

 ちなみに。
 うちには、この『0円マップ北海道2012~2013年版』が3冊ある。
 1冊は、実際に北海道で使ったが、あとの2冊は “保存用”だ。
 なぜなら、自分が載っているから(^^;。
 2011年夏の “ミーティングGO! GO! in 北海道上士幌ナイタイ高原”に参加したのである。参加者全員の写真をバイクと共に撮ってもらえる上に、翌年(または翌々年)の “0円マップ北海道”にその写真が掲載されるのだ。
 このミーティングは2年毎に行われていて、次回は今年(2013年)のはず、だったのだが。その告知も兼ねた本雑誌が発売中止ということは、このイベントもやらないのだろう。

 もし、日程があえば参加しようと思っていただけに残念だ。


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2013年6月 4日 (火)

第86段:フェリーの予約 (2)

今日は、山口県ツーリング記はお休み。
昨日(3日)、夏の北海道ツーリングの復路のフェリーの予約をした。
8月2日の夕方便をインターネットで予約した。あっさり予約完了。
やはりインターネット予約は簡単でいい。オーシャン東九フェリーも早くインターネット予約を始めてもらいたいものだ。

 それはさておき。
 今回も商船三井フェリーを往復とも利用する。
 夏の繁忙期だから仕方ないかもしれないのだけど、お盆が近づくにつれて、料金が高くなっていくのは、ちょっとね(-_-; 、という感じ。
 その期間と運賃の詳細は、商船三井フェリーのHPを見てもらうとして。
http://www.sunflower.co.jp/ferry/tariff/index.shtml

 今年の旅は、7/27~8/3まで。
 往路:7/27 深夜便 大洗発
 復路:8/2  夕方便 苫小牧発

 どちらもC期間になる。特に復路はD期間にぎりぎりだ。
 なにせ、C期間とD期間で運賃が\3,500も違う。C期間内で収まったのはある意味よかったかも。

 インターネット予約の場合、旅客運賃・乗用車運賃が5%割引になる。ただし、条件があって、D期間では適用にならないことと、オートバイは適用にならないことだ。
 なぜ、オートバイは適用してくれないのだろう。

 また、インターネット予約の場合、往復割引が適用にならない。往路、復路で5%ずつ割引だから、復路に10%割引になるのと、結果的には一緒だけど。。。

 ただ、往復割引もD期間は適用外、オートバイが適用外、電話予約でのみ有効となるそうだ。

 つまり、世間一般の人が夏休みを迎えるお盆の頃に商船三井フェリーを使うと、あらゆる割引をしてくれない、ということになる。うちの会社が早めの夏休みを設定してくれるのは、そういう意味ではありがたいことだ。

 さて、今年はどの方面に行こうか。動ける日は実質6日。現在、思案中。

 


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2013年6月 3日 (月)

第85段:山口県ツーリング記(2013/4/30) (4)~篠目駅

 現在12:14。
 それにしても。
 今ここで聞こえる音は―。
  ・沢の水が流れる音。
  ・うぐいすなどの野鳥の鳴き声。
 これだけ。それ以外、一切音が聞こえない。
 普段の東京の生活とはかけ離れた時間が流れている。。。

 12:35くらいに山に登る。青春18きっぷの写真を見ると、やはりもう少し俯瞰から撮っているようだ。でも、山の木が邪魔でこれ以上、上には登れない。12:48頃。踏切の遮断機の音がなり、一両編成の山口駅行きディーゼル車がやって来た。写真を撮りまくった。
 まぁ、18きっぷの写真に似たそれらしい写真が撮れ、美しい風景も堪能した。時間はかかったが、一人旅だし、いいだろう。
 再び篠目駅に行き、もう一度駅の写真を撮る。現在13:30。篠目駅の駅舎の反対側の写真などを撮ってから長門峡に向かった。(つづく)
18r
↑2009年夏 JR青春18きっぷのパンフレット。 篠目駅を俯瞰から撮影している。

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↑JR篠目駅を後にするディーゼル車。パンフレットの写真と比べると、撮影位置が低い。

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2013年6月 2日 (日)

第84段:山口県ツーリング記(2013/4/30) (3)~篠目駅

 撤収完了は、10:16。 10:20に休憩施設を出発。JR篠目駅へ向かう。

 5月9日の
第60段:山口県ツーリング記(2013/4/27)で今回のツーリングで行きたい場所として、JR山口線篠目駅を挙げたが、なぜ篠目駅か。

 その訳は、2009年夏の “青春18きっぷ”のポスターにある。それには、
 
 
 山に囲まれた集落にある単線の路線をディーゼル車が走っていく。。。
 という写真だ(その写真は、
第85段:山口県ツーリング記(2013/4/30) (4) 参照)。

 この写真をひと目見て、自分の目でこの景色を見てみたい、と思った。

 それからキャッチコピー。

  “大人には、
  いい休暇をとる、
  という宿題があります。”

 このコピーはいいね。 “いい休暇をとる、という宿題”かぁ。
 その通り。 “いい休暇”を取らなければ。

 

 篠目駅には10:35頃着いた。上り電車が来るのが11:12だから、あと、30分以上ある。いつもの駅舎をバックにしたバイクの写真を撮る。
20130430_p4301653r
↑JR山口線 篠目駅

 篠目駅には、今は使っていないが給水塔がある。1922年に建てられた高さ8.5m、直径4.5mの円筒形で、煉瓦造り。30tonの水が蓄えられる。まだSLが走っていた頃、仁保・篠目間の登り坂区間で、エネルギーを消費したSLは、ここで石炭滓(かす)を捨て、同時に給水を行っていたそうだ。給水塔はそのときの名残りなのである。
20130430_p4301663r
↑給水塔

20130430_p4301655r
↑給水塔の説明

 それはさておき。
 青春18きっぷの写真の撮られた位置を特定しなければ。しかし、それらしいポイントが見つからない。写真と照合すると、山の上から撮ったようだが、そこに至る道がない。仕方なく、ちょっと低いが似たように見えるポイントで篠目駅を見る。電線が邪魔だ。まさか、青春18きっぷの写真はデジタル技術で、電線を消したとか? いやそもそも駅を見下ろしている高さが違う。ここは青春18きっぷの撮影ポイントではない。

 そうこうしているうちに、電車が来てしまい、とりあえず、ここからの写真を撮った。
 電車が過ぎた後も、ガードレールから身を乗り出し、篠目駅を撮っていると、すぐ近くの民家の女性が声をかけてくれた。
 『危ないよ。初めて? 皆さんは、その田んぼのあぜから撮ってるよ。』

 はて? 皆さんとは? と言いかけて気がついた。そうか。この路線は休日には “SLやまぐち号 ”が走る。撮り鉄の撮影ポイントというわけか。(あとで確認すると、近々では5月3日に走る)。
 で、その女性に案内されて、田んぼのあぜに入っていく。

 『ここ。この辺りに皆さん三脚で放列を作っていますよ。』
 でも、いいのだろうか。この女性が言うのだから、いいんだろう。あぜに入っていいなんて、誰かいなければ分かるわけがない。

 ついでに青春18きっぷのパンフレットのコピーを見せて、質問した。
 『この写真はどこから撮ったものか分かりますか?』
 『これ、青春18きっぷのだね。ここ。この山の途中から撮ったものだね。皆さんが歩くから獣道みたいになっているよ。』
 『入ってもいいんですか?』
 個人所有の山に勝手に入っていいものか? 地主にことわりがいるはず。と思ったら、黄色の看板がある。

  「この山はマナーを守ることを条件に地主に入山許可を得ています。無断で木々を折ったりゴミの散乱等が発生すれば入山は禁止されます。」”byやまぐち号沿線協議会(
http://westj.cool.ne.jp) ”

20130430_p4301711r

 実際に上ってみる。登山道のようになっているわけではないので、歩きにくい。木が伐採されているぎりぎりのところまで上る。確かにここなら、パンフレットの写真とほぼ同じポジションだ。
 それを確認して、また下りてきた。
 さて、どうしよう。次の電車が来る時刻は上りの12:50。1時間以上ある。
 やはり、電車が走っている写真を撮りたいし。。。結局待つことにする。明日の朝食用として買っておいたパンと野菜ジュース。それにバナナ。ほとんど今朝の朝食と同じ内容だが、これを昼食の代わりにする。(つづく)

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2013年6月 1日 (土)

第83段:山口県ツーリング記(2013/4/30) (2)

 テントの中の荷物を東屋の下のベンチに移動させる。インナーテントは、フレームごとひっくり返して雨に濡れた底面を干す。フライシートとドカシーは、木の間にロープを渡してそこに干した。雨に濡れたままテントはしまえない。臭いやカビの原因になるからだ。乾くには少し時間がかかるだろう。干している間に朝食をとる。

 すると、近所でこの休憩施設のトイレ掃除をしているという女性(おばあさん)がやって来た。ここに居着いている猫に餌をやりにきたのだ。
 そのついで?に私に話しかけてきた。
 『ここに泊まったの? どこから来た?』
 質問は定番だ。
 その後も話しかけてくるので、むげに話の腰を折るのも悪いだろうと、話につきあう。
 それによると。。。

【この施設での宿泊について】
 ・この休憩施設には、他にも泊まる人がいるらしい。昨年秋に、軽自動車で広島から来た大学生の男女がここに泊まったという。男は東屋の中のベンチや地べたで寝ていた。女性は車の中で。
 ・その大学生(男)たちは、蚊に刺されるのを防ぐため、ベンチに蚊帳のようなもので覆って寝ていたという。
 ・ただし、朝遅くまでベンチで寝てるので、おばあさんが、『いい加減に起きろ!』と一喝したという。
 (すごいな(^^;)

【地域】
 ・この辺りは山口の北海道と言われている(おばあさんが自分で言っているだけなのかもしれない)。萩で雪が降ってなくてもこの辺りは降るときがある。ときに長靴の高さ以上に積もる。山口市の湯田温泉街は、温泉の熱で雪が溶けるため、雪が降っても積もらないという。
 ・この辺りで穫れる米は甘くておいしい。
 ・おばあさんは、米を地元の知り合いの農家から一度に30kg袋を5袋を購入する。

【自分と家族】
 ・だんなさんは他界。娘とその夫(婿)と子供(つまり孫(高校生2人))と暮らしている。
 ・婿と孫2人(計3人分)の弁当を自分が作る。
 ・昔は、大阪のホテルで働いていた。そのため接客には慣れている。
 ・ここではトイレ掃除だけが業務で、その給料しかもらっていないが、ときどき売店の販売の手伝いもする。
 ・休憩施設の店員が「いらっしゃいませ」も言わず突っ立っていると、『そんなんで客が来るか!』と苦言を言うこともある(接客業をしていたからだろう)。

 ・ポリシーとして、誰とでも(知らない人でも)朝の挨拶をする。孫にもそれを徹底させているという。そのため、近所からは、『お宅のお孫さんに挨拶された』と喜ばれているらしい。ただし、そのことを孫に言うと、『誰に言われた?』と訊かれ、『顔は知っているが、名前は知らん』と答えると、『今度は携帯でその人の写真を撮ってきてくれ』と言われているとか。

 ・自分だけ良ければそれでよい、という考え方が大嫌い。孫にお菓子を買ってやるときも、2人分買う。孫の一人がお菓子をねだったら、もう一人の分も買うという(高校生でお菓子をねだるとは思えないので、孫たちが子供のときの話だと思うが)。

 おばあさんの話につきあっていたら、9時を過ぎてしまった。8:40頃に施設の店員が出勤し、9時に売店がオープンした。
 スタンプを押すため売店に行った。

 少しおばあさんの話につきあい過ぎたようだ。その間に干しておいたテントとドカシーはほぼ乾いた。これからようやく撤収に取りかかる。現在9:09。(つづく)


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